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 認知症にはいろいろなタイプがあって、それぞれの症状に特徴があることをご存じでしょうか。前頭側頭葉変性症では「わが道を行く」ような行為や、「ひょうひょうとして無頓着さ」が出る場合があります。「ここではこうしなければならない」といった一般的なルールが理解できず、「こうしよう」と思うと周囲が止めても行動してしまう人がいるといった、認知症それぞれに特徴的な症状や行動があるものです。ひょっとしてその人の考えのように見えて、実は認知症の症状だという場合もあるのです。

あの大地震のあとに

 多くの場合、みなさんは「認知症になった人は何もかもわからない。仕方がない」と誤解していませんか。確かに認知症になると記憶が悪くなるだけでなく、しっかりと行動することなどについて、脳の力が減じてきます。一方で「できることはできる」人も多く、脳のどこが変化しているために起きるのか、「傾向」を知ることによって、当事者の行動やこころの反応を理解することができます。

 もう25年も前の話です。82歳の高田周五郎さん(仮名)は血管性認知症で4年間、病院に通院していました。一緒に暮らす妻や、近所に住む次女とその家族がサポートしてくれたおかげで、大きな混乱なく、その日も過ぎていくはずでした。その朝も5時半に起きて普段通りの生活が始まるはずであった直後、体が飛ばされる衝撃と共に自宅が崩壊しました。

 阪神・淡路大震災の朝でした。大揺れがおさまった後の不気味な静寂のなか、髙田さんは妻を探しました。頭部をけがした妻が2階から下りてきました。自宅は半壊、高田さんは妻の出血を見て大声を上げ続けました。

 次女の家族は倒れた家の下、子ども3人が行方不明です。次女は何とか難を逃れ髙田さん夫婦と共に避難先の小学校に行きました。家族の安否を思う不安、慣れない環境、突然、慣れ親しんだ街を炎が包んだこと、高田さんには耐えきれないほどの生活の激変と、家族に起きた悲劇を受け止める余力がありませんでした。

家族もわかっているけれど

 それから3カ月、混乱の影響は避けがたく、高田さんは昼夜逆転を起こし、怒りやすくなっていきました。次女が「お父さん、こうしよう」と発言すると必ず髙田さんから「でもな、おれはこうする」と反論が返ってきます。

 髙田さんは認知症になる前から側頭葉に小さな脳梗塞(こうそく)(ラクナ梗塞)がたくさんできていて、「まあ、いいか」と物事に対して妥協することが難しくなっていました。しかも前頭の意思の中枢はしっかりとしているため、「自分はちゃんと判断できている」という自負心はしっかりと残っています。次女からすると、一度として「はい、そうだな」と同意してくれたことがなく、人が変わったような気がします。「ああいえばこう言う、こういえばああ言う。全く身勝手な」と怒りが満ちてしまいました。

 後になって頭部MRIで脳を見た時に、この変化がわかったわけですが、大震災後の混乱の中で「脳の局在」すなわち、脳のどこの部分が変化すれば、どういった症状が出るかを即座に把握することができませんでした。次女の悩みは「病気だとわかってはいるけれど、避難所でわがままを通し、自分の意見を曲げない父を見ると怒りが止められなくなる」。その訴えには共感できるところがありました。こんな時こそケアと医療が連携すべき時です。ごくごく少量の安定剤を服用してもらったところ、運よく身体能力が低下することなく高田さんの「激高」は少なくなり、次女も父親の混乱のメカニズムがわかることで対応できるようになりました。

拡大する写真・図版イラスト・ふくいのりこ

脳とこころのふしぎ

 人のこころは科学的な検査では測りきれないことがたくさんあります。検査だけで認知症の人のこころを決めつけてはいけません。しかし、高田さんのような症状、様子から「こうなっているのではないか」と推測できることがあります。脳の働きの中で、どこが変化すればどういった症状が出るかを知ることで、脳の局在と関係していることであると気づくことができます。言いかえれば「認知症になって、この人は変わった」という解釈ではなく、「認知症による脳の変化の結果、こういった症状が出ている」と、周囲の者が安心できる解釈は大切です。

 医療の役割は病気を治すこと。これは誰もが疑うことのない事実です。しかし認知症や慢性の生活習慣病、一部の変性疾患などは今でも完治できない病気です。それらと対峙(たいじ)するとき、私たちに求められるのは病気に対する正確な情報を持つことです。脳の局在を知ることは認知症当事者のこころを知るためにも有用です。こころの理解のために脳の理解を進めること。一見矛盾するように見える情報ですが、実はお互いに補い合うことで人権を守る大きな力になるのです。

 この話には後日談があり、父親の症状への理解が進んだ次女の対応力の向上と、高田さんの不安定時期からの脱却の結果、彼は穏やかなその後の日々を在宅で過ごすことができ、その後の17年の人生を全うしました。

 次回は「最近のことだけ忘れる?」を書きます。

松本一生

松本一生(まつもと・いっしょう) 精神科医

松本診療所(ものわすれクリニック)院長、大阪市立大大学院客員教授。1956年大阪市生まれ。83年大阪歯科大卒。90年関西医科大卒。専門は老年精神医学、家族や支援職の心のケア。大阪市でカウンセリング中心の認知症診療にあたる。著書に「認知症ケアのストレス対処法」(中央法規出版)など