拡大する写真・図版連日多くの観光客でにぎわってきた「沖縄美(ちゅ)ら海水族館」=2019年6月、沖縄県本部町、国吉美香撮影

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 スマホにキーワードを入力すると、真っ青な海を背景に、ちょっと大胆な水着の女性が次々と画面に現れた。

 水着姿に蝶(ちょう)ネクタイを結んだ女性には〈タキシード・ボディ、流行。〉。日に焼けてにっこり笑う〈トースト娘ができあがる〉。くっきりとした目鼻立ちが目を引く女性には〈高気圧ガール、はりきる〉――。女性たちのわきには、そんな言葉が躍っている。

 今ならすぐに「炎上」しそうなものもあるが、これらは大手航空会社が1980年代に沖縄旅行の宣伝のために打ち出したポスターの写真とキャッチコピーだ。「南国沖縄」が、これでもかと演出されている。

 沖縄観光は戦後、太平洋戦争で家族や戦友を亡くした人たちの慰霊訪問という形で始まったことを先日配信した記事(https://www.asahi.com/articles/ASN5H659BN5GTPOB009.html)でお伝えした。その形が徐々に変化し、流れを決定づけたのが、現在の沖縄美(ちゅ)ら海水族館(沖縄県本部町)の場所で開かれた、ある壮大なプロジェクトだった。75年、沖縄が本土に復帰して3年後のことだ。

衝撃的とも言える発言

 プロジェクトには海外から35カ国と三つの国際機関が参加し、「海―その望ましい未来」のテーマが掲げられた。メイン会場は、漫画家・手塚治虫さんらがプロデュースし、政府が約120億円をかけた「未来の海上都市」。100メートル四方、高さ32メートル、1万5千トンほどの巨大構造物が実際に海に浮かべられ、海洋生物の展示や映像などを見ることができた。ポスター写真は、篠山紀信氏が撮影。モデル役はのちに結婚する地元出身の南沙織さんだった。さらに、開・閉会式の演出にはウルトラマンの原作者で、同じく沖縄出身の金城哲夫氏が抜擢(ばってき)された。

拡大する写真・図版1975年に開催された沖縄国際海洋博覧会の会場。手前が海上に浮かぶ巨大な実験都市アクアポリス=沖縄県本部町

 プロジェクトのプロデューサー役を担ったのは通産官僚で、のちに作家や評論家として活躍する堺屋太一氏(2019年死去、享年83歳)。堺屋氏は、70年の大阪万博を成功に導いた官僚でもあった。

拡大する写真・図版作家で評論家の故・堺屋太一氏は、通産官僚時代、沖縄の観光客10倍を目標に一大プロジェクトを手がけた

 米軍統治下に置かれた沖縄は、日本の高度経済成長から取り残され、沖縄返還を実現した佐藤栄作首相(当時)は、堺屋氏に沖縄の産業振興を強く命じた。プロジェクトを沖縄経済の起爆剤にするために何ができるのか。沖縄に派遣された堺屋氏は、県職員や地元経済人を前に、衝撃的とも言える発言をしたという。そして、その後の沖縄観光は、堺屋氏の言葉通りに進んでいく。

「何を捨てるんだ」。アメリカの観光プロデューサーが迫った決断。その後、大ヒットドラマによって沖縄のイメージは決定づけられました。

 「歴史の話はもうやめ…

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