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 この春、料理店が次々と臨時休業し、食材を提供してきた農家は出荷が止まった。「おいしいものをつくり、食べてもらう」という地域のつながりを守ろうと、食や農にかかわる人たちは懸命に動いた。胸にあるのは、9年前の震災を乗り越えた経験だ。

 渡辺正信さん(47)は、仙台市宮城野区で青果卸商「渡三(わたさん)商店」を営む。これはと見込んだ県内の生産者から直接仕入れ、仙台・国分町かいわいを中心に、素材にうるさい料理人たちに届けてきた。どこも味が評判の店ばかりだ。

 こうした店も、新型コロナの感染拡大で、3月から客足が落ち、4月は軒並み門を閉じた。スーパーなどで売られる野菜需要は変わらないものの、有機農法や伝統の在来作物など、生産者がこだわってつくる農産物ほど、販路が断たれた。渡三商店の売り上げは8割も減った。

 「営業を休んだ店舗で一緒に野菜を売ろう」。そう持ちかけてきたのが、国分町に1年前、小料理屋「肴町 匙(さじ)」をオープンした及川秀治さん(46)だ。

 及川さんはレストランで修業を重ね、1500万円かけて独立した矢先のコロナ禍。返済はまだまだ苦しく、4月中旬からは昼間のテイクアウトでしのいできた。お弁当を買いに来るお客に、行き場をなくした野菜も買ってもらおうと、考えたのだ。

 粘り気のあるレンコン、規格外の太さのアスパラガス、大地の養分を吸った濃い味の野菜……。「うちも苦しいが、一緒にやってきた仲間にもあきらめてほしくない」と及川さん。近所の評判になり、昼間だけで1日4万円を売る。

 名取市の農家三浦隆弘さん(40)は、仙台の飲食店に地元特産のセリなどを出してきた。それが、春の歓送迎会の鍋需要が消え、出荷量は10分の1に。買い手のつかない春セリは自家採種に回し、アサツキは収穫しないままだった。渡辺さんを通じ、持ち帰りのセリ鍋セットや「匙」の店頭販売などで、少しずつでも買い支えてもらっている。

 思い起こしたのが、震災後の経験。原発事故による放射能の風評被害で、野菜がまるきり売れない日が続いた。独自に生産物の放射性物質検査を続け、信頼と販路を取り戻した。その中で、渡三商店や仙台の飲食店とのネットワークも築いていったという。

 「つくる人、運ぶ人、おいしいお皿にして出す人が顔の見える関係でつながって、食の魅力を深めようと取り組んできた。この小さな環(わ)を断ち切っちゃいけない」と三浦さんは言う。渡三商店の渡辺さんも「コロナ禍のピンチで仲間との関係は濃くなった」と話す。

 宮城県では14日、緊急事態宣言が解除された。

 ただ、店内での営業を元通りに戻すか、感染のリスクを考えてなお様子を見るか、飲食店の対応は割れている。(石橋英昭

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