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 18日に引退を表明した元日本代表のロック大野均(東芝)は、ラグビーの美徳の一つである自己犠牲の精神を最も体現できる選手だった。人が嫌がる痛いプレーをいとわず、練習でも試合でも文字通り己の100%を出し切り、1試合で体重が6キロ減ったこともある。なぜ、そこまでできるのか。「自分は鈍感なんだと思う。普段の生活でも、痛みにも」。そう照れ笑いを浮かべていた。

 福島の農家に育ち、搾りたての牛乳を飲み、実家の野菜を食べて、頑強の肉体の礎を作った。新聞配達も日課だったという。福島・清陵情報高では野球部で甲子園を目指したが、補欠だった。「あの時、試合に出られなかった悔しさがベースにある」。チーム最年長になっても初心を忘れず、ぶつかり合いの最前線で体を張り続けた。

 エディ・ジョーンズさんが日本代表ヘッドコーチ(HC)に就任した2012年当初、「大野は15年W杯にいないだろう」と話していたことを伝え聞き、発奮材料に変えた。37歳で臨んだW杯の南アフリカ戦で先発。「散るまでやろう。死ぬまで走ろう」と決戦に臨み、大金星につなげた。その頃には指揮官に「キンちゃん(大野の愛称)が(W杯メンバーの)31人必要」と言わせるほど、厚い信頼を寄せられていた。

 酒豪ぶりは有名だが、物腰は柔らかく「気は優しくて力持ち」という言葉がぴったりはまった。04年に代表デビューし、その秋の欧州遠征ではスコットランドに100点を奪われる惨敗も経験。苦境の日本ラグビーを支え続け、キャップ数は歴代最多の98まで積み重ねた。

 昨秋のW杯のメンバーには選ばれなかったが、日本の飛躍は「鉄人」の存在があったからこそ。22日にオンラインで記者会見を開き、心境を語る。(野村周平)