不惑越え着けた時のあの感覚 服部幸應、父の形見の時計

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聞き手・西本ゆか
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 服でも文具でも腕時計でも、真に「上質」なものが似合うには、手にする人の方にも、それなりの「質」が問われるのかもしれません。服部幸應さん(74)は、父の形見の腕時計が似合う「大人」になるまで、20年を要したと言います。豪快だった亡父の思い出と共に、しみじみ語ってくれました。

派手さはないが、味わい深い時計

 明治大剣道部主将だった父は、広い背中の堂々たる偉丈夫で、付き合いも広く来客の絶えぬ人でした。余計なことは言わず、的確な判断で人を動かす。職場では恐れられる存在だったようですが、家に帰れば子煩悩で、長男の僕は、父のあぐらの上が定位置でした。来客時にも、ちょこんとおさまる僕の目の前で、酒を酌み交わす酒豪の父の太い手首に巻き付き、時を刻んでいたのがヴァシュロン・コンスタンタンの腕時計でした。

 スイスで古くから続く時計ブランドで、派手さはないが、味わい深い。極限までシンプルながら、バンドの留め具にはくっきりとブランドマークを刻んだデザインに、高い技術力に裏打ちされた職人の誇りが感じられ、何とも好ましいのです。

 僕がこの時計を引き継いだのは、父が59歳で急逝した1965年。設立し、現在のかたちに発展させた料理学校の資金繰りが厳しかった時代で、心労もあったのでしょう。心筋梗塞(こうそく)でした。20歳だった当時の僕は潜水が趣味で、愛用の腕時計も多機能のダイバーズウォッチ。形見とはいえ、革バンドの金時計に興味はなく、つける気にもなりませんでした。

世間にもまれ、ふと父を思った

 それから、いろんなことがありました。母が継承した学校を31歳で僕が継いだが、経営は生やさしいことではない。知人の借金の保証人になり、肩代わりで返済した日々もあります。世間にもまれて成長し、不惑の坂を越えたある日、ふと父を思い、形見の腕時計を取り出しました。腕に着けた時の不思議な感じは、今も忘れません。しっくり、というか、安心する、というか。

 父がこの腕時計を買ったのも…

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