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 東京ドームそばの小さな喫茶店「晴山(せいざん)」(東京都文京区本郷1丁目)が43年の歴史に幕を下ろした。カウンターから机、棚までチョコレート色で統一された店は、昭和の雰囲気を残し、プロ野球が開催されれば満席になった。しかし、新型コロナウイルスの感染拡大、東京五輪・パラリンピックの延期。外出自粛で客足は遠のき、平成、令和と移り変わる街と歩んだ店は静かに扉を閉めた。

 大学生だった約35年前、晴山でアルバイトした。バイクでのアフリカ旅行の資金稼ぎだった。コーヒーを入れ、スパゲティなどを調理した。向かいにはドームの前身、後楽園球場があり、プロ野球の試合の日は、大勢のファンらが訪れ、てんてこ舞いだった。

 ママの中村ハルさんが20代後半で店を開いたのは1977年6月。その3カ月後、一本足打法の王貞治さんが同球場で本塁打の世界記録を樹立。国民栄誉賞第1号となる名選手もよく訪れた。観戦に招いた知人との待ち合わせで、試合後に歩いて来店した。洋酒を振る舞った時もある。店を始めた翌年春、人気アイドルグループ「キャンディーズ」が解散コンサートを開いた。球場向かいの喫茶店として、ドームへ続く華やかな時間を共に歩んだ。

 店が入る6階建てビルは大手出版社の関連施設。ママは元社員で、屋上には週刊誌などをPRするノッポな広告塔が立っていた。「球場の観客席からも見えるように背が高く、回転する看板だった」。その週刊誌は一時、発行部数で日本一の人気を誇った。

 球場は88年春、国内初のドームに代わり、客席から外が見えなくなった。役目を終えた広告塔はその後、撤去される。そして社会で活字離れが進んだ。

 プロ野球は今季、開幕が延期。まだ球音が聞こえない。さらに「東京五輪のにぎわいを店で楽しみたい」と年齢を重ねても続けてきたママも、予想もしなかった五輪の1年延期とにぎわいが消えた街に力尽きた。五輪後にと考えていた閉店の「背中を押された」。おしゃれな内装もいつのまにかレトロになっていた。

 ウイルスが、人の健康を、仕事を、暮らしを、奪っていく。長期化する外出自粛で飲食店や会社の休廃業が相次ぐ。それでも、出会いや思い出が消し去られることはない。

 店の最終営業となった18日、小雨の降る店頭を行き来する人はまばらだった。スパゲティナポリタンをいただき、コーヒーを飲んだ。あのころと同じ味と香りがした。(山浦正敬)

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