言葉を「虐待」してきた安倍首相 連発しても重みなし
編集委員・福島申二
日曜に想う
本腰を入れたものより、戯れのようにやっていたものの方が後世に残ることがある。たとえば久保田万太郎は本業の戯曲や小説より、「余技」だと言っていた俳句によって今はよく知られる。〈湯豆腐やいのちのはてのうすあかり〉
アベノミクスよりもアベノマスクの方が後々、人の記憶に残るように思う。片や長期政権の屋台骨をなす経済政策であり、もう一方は側近官僚の思いつきとされる。だが巷(ちまた)の秀逸なネーミングも相まって、冗談めいた奇策と、首相ご当人の着装の印象はなかなかシュールだ。
むろん万太郎の句はすぐれているから名が残るのであり、不人気なマスクとは逆の話。ともあれ窮屈なマスク顔で、あるいはマスクを外して、安倍晋三首相は様々に語りかける。しかし言葉が心に響いたという話はあまり聞かない。
言葉を弾丸にたとえるなら、信用は火薬だと言ったのは、作家の徳冨蘆花(ろか)だった。火薬がなければ弾は透(とお)らない、つまり言葉は届かない、と。数を頼んで言葉への横着を重ねてきた首相に、もはや十分な火薬があるとは思われない。弾も自前ではなく大抵は官僚の代筆である。
丁寧、謙虚、真摯(しんし)…