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 南三陸町の佐藤仁町長(68)はチリ地震による津波で家を失い、東日本大震災では防災対策庁舎の屋上で波にのまれたが、かろうじて生還した。チリの記憶を受け継いだ町で、なぜ9年前、多くの人が犠牲になったのか。悲劇を繰り返さないために必要なものは。佐藤町長に聞いた。

 ――60年前のあの日は。

 当時、志津川小学校の3年生でした。母から早朝「津波だ」と起こされ、ランドセルを背負わされて、姉2人と200メートルほど離れた高台の旧志津川高校に逃げました。しばらくして津波が押し寄せ、海から約300メートルの自宅は全壊。父は裏の映画館の屋根に上って助かりました。家族は無事でしたが、町は壊滅し、母の実家に疎開しました。夕焼けの中、おじに手を引かれて泣き泣き山を越えたあの寂しさは忘れられない。幼心に津波とはどういうものか、町がどうなるかを記憶に刻みましたので、東日本の対応に生かせたと思っています。

 ――明治、昭和の三陸津波の被…

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