榊原一生
朝日新聞パラリンピック・スペシャルナビゲーターの香取慎吾さんがさまざまなパラ競技に挑戦する「慎吾とゆくパラロード」。コロナ禍でアスリートとの接触が難しい中、今回は車いすバスケットボール界の「神様」「マイケル・ジョーダン」と称されるパトリック・アンダーソン選手(40)=カナダ=とリモート対談しました。自宅のある米ニューヨークでの暮らしや練習、趣味の音楽について語り合いました。
香取さんがテレビモニターに映るアスリートに語りかけた。
《そちら、ニューヨーク(NY)の状況はどうなんですか?》
新型コロナウイルスの死者数が9万人を超えた米国で、感染拡大が特に深刻なのがNY州だ。NY市内に住む車いすバスケットボール・カナダ代表のアンダーソン選手は、自身の置かれた状況を語り始めた。
《米国では3月に国家非常事態宣言が出され、NY州でも外出が制限されました。今は家に閉じこもっています。新型コロナウイルスの影響で一番困ったことといえば、やっぱりバスケができなくなったこと。他は色々できるんだけど……。》
アンダーソン選手が代表として練習したのは3カ月前だったという。
《名古屋であった2月の代表合宿が最後です。今はカナダと米国の国境も閉ざされてしまい、代表練習があったとしても参加することができません。でも焦りはないです。メンタル強化など今できることに集中していますから。》
苦境の中でもアンダーソン選手の表情は明るい。香取さんは安堵(あんど)の笑みを浮かべながら、質問を切り出した。
《なぜこのような状況でもポジティブに物事をとらえられるのですか?》
アンダーソン選手が答えた。
《まず家族が身近にいることが大きいかな。妻は僕をドライブやオンラインで他の人と一緒に話そうと誘ってくれる。さらに僕は音楽が好きで、歌を歌い、作曲もする。3人の子どもに音楽を聞かせたり、ミュージカルのビデオを一緒に見たりして、忙しくしています。家族と音楽があって自分が自分らしくいられている。それが前を向けている理由なのかなと思います。》
香取さんは、そんなアスリートの姿に親近感を覚えた。
《分かる! つらい時には励ましを与えられ、背中を押してくれるのが音楽だよね。僕も家に閉じこもっていて下を向いてしまいそうな状況だけど、音楽を聴くと癒やされる。そして、今の時間は新たな自分と向き合う時だ、とも思って過ごしているんです。》
アンダーソン選手は薬指の指輪を指しながら、香取さんに語りかけた。
《僕は家族と向き合う時間が増え、その存在の大きさに改めて気付かされた。シンゴは自分と向き合いどんな発見があったんだ? 家庭を持つのはどうだ?》
苦笑いを浮かべた香取さん。
《すごくよさそう。アンダーソン選手の話を聞いていると、こういう時こそ人とのつながりを感じられることはすごく大事なことなんだと思った。》
車いすバスケ界の「マイケル・ジョーダン(MJ)」の異名をとるアンダーソン選手。20年以上にわたって実績を築き、その存在感を高めてきた。車いすのスピードやターン技術、シュートの正確性は他をしのぐ。本来なら身長は190センチを超え、その腕の長さも大きな武器だ。香取さんは思った。
《その異名、どう感じているの?》
アンダーソン選手は答えた。
《MJは大好きで尊敬するアスリートです。若い頃は刺激を受けていた。「MJのようだ」と言われて、彼の名に恥じないよう、卓越した選手になれるように努力を重ねてきたんだ。シンゴのヒーローは誰なんだ?》
香取さんは上を見上げて答えた。
《僕はマイケル・ジャクソン。東京ドームで彼のステージを見て、ダンスや歌に衝撃を受けた。そして、あそこに自分も立ちたいと思い、頑張ってきたんです。実際にお会いしたこともあります。今こうして、2人でそれぞれが憧れた「MJ」について、話せているのが何だかうれしいな。》
香取さんは、9歳の時の交通事故で両足を失い、今や車いすバスケ界のレジェンドとなったアンダーソン選手の努力に、思いを寄せた。
《人一倍の練習、思いがきっと高みに導いてくれたんですよね。》
香取さんのその言葉に、アンダーソン選手はジョークで返した。
《長い腕と短い足が、理由だよ。》
笑顔で見つめ合った2人。アンダーソン選手が、自身の原点についてとつとつと語り始めた。
《小さい頃から意識していたのは技術面です。普通なら障害者に対しては高い要求はしないと思うのですが、僕が子どもの時の指導者は違った。難度の高いスキルを何回もトライするように要求されました。とにかく厳しかった。この時にドリブルやシュート技術の基礎ができたんだと思います。》
そして、パラリンピックでは母国カナダを3度の頂点に導いた。ただ、2008年北京、12年ロンドン両大会後の2度、第一線を退いている。東京大会に向けて代表復帰したのは17年だ。アンダーソン選手は理由を語った。
《08年は音楽学校に通っていて、もっと色んなことがしたいと思い、12年は妻と音楽制作を始めたところだった。生半可な気持ちでは音楽活動も競技もできない。当時はそう思ったんだ。東京に向けて復帰したのはリオ大会で11位に終わった母国を再び強豪に戻したいと思ったからなんだ。》
大会への並々ならぬ思いを聞いた香取さん。純粋に応援したい気持ちとともに、コロナが収束しない状況下で、複雑な思いも口にした。
《大会延期は頭では理解しているつもりです。でもどうも僕も日本全体も向き合えていない気がするんです。それはきっと今年の夏、20年への思いが強過ぎたから。思いが強かった分、気持ちを切り替えるのは難しい。》
アンダーソン選手はうなずいた。
《シンゴの思いはよくわかる。僕も同じだ。でもゴールは一緒じゃないか。1年待たなければならないのは残念だけど、逆に準備する時間ができた。日本が大会を盛り上げるために頑張ってくれているのは知っている。だから、僕はバスケの側面から大会を盛り上げる。シンゴは大会全体を熱くしてくれよ。》
香取さんは目を細めた。
《そう言ってもらえてうれしいな。応援する時間が増えて、みなさんにパラを愛してもらえる時間が増えたんだよね。東京で会いましょう。》
アンダーソン選手は画面に向けて手を振った。
《もちろん。その日を楽しみにしている。いい大会になることを確信しているよ。》(榊原一生)
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