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 今から75年前。太平洋戦争の末期に海上特攻作戦を命じられ、激戦の末沈没した戦艦大和から奇跡的に生還した青年がいた。乗員だった吉田満がその体験を綴った『戦艦大和ノ最期』は、同胞のために究極の自己犠牲を強いられた人々の思いを今に伝える。集団全体のために個々人の生命や生活は、どこまで犠牲にすることが許されるのか。新型コロナウイルス問題という新たな「極限状況」に揺れる現在、吉田のメッセージは「集団と個」の緊張関係を再び我々に突きつける。

拡大する写真・図版1945年4月7日、沈没の約50分前、九州沖で炎に包まれながら米軍機と戦う戦艦大和。著者の吉田満もこの時、艦内にいた=原勝洋氏提供 

 「進歩ノナイ者ハ決シテ勝タナイ 負ケテ目ザメルコトガ最上ノ道ダ」「敗レテ目覺メル、ソレ以外ニドウシテ日本ガ救ハレルカ」「日本ノ新生ニサキガケテ散ル マサニ本望ヂヤナイカ」

特攻命じられ、血を吐く思いで絞り出した論理

 『戦艦大和ノ最期』の作中で、乗員の1人臼淵磐(うすぶちいわお)大尉(当時21歳)が、洋上に目を向け「低ク囁(ササヤ)ク如(ゴト)ク」発したとされる言葉だ。太平洋戦争下の1945年4月、日本の敗北が確実な中、成功の可能性皆無の「艦隊による沖縄への海上特攻」を命じられた若者が、自らの死をどう意味づければよいのか。必死に考え抜き、血を吐くような思いで絞り出した論理だろう。

拡大する写真・図版家族連れでにぎわう、2005年開館当時の広島県呉市大和ミュージアム。現在は臨時休館中

 この言葉を展示の一つとしている広島県呉市の「大和ミュージアム」には、2005年の開館以来、1400万人以上が訪れた。戦艦大和の最期は昨年の映画「アルキメデスの大戦」など、数多くの映像作品で描かれてきた。

 しかし、戦時中、大和は高度の…

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