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 茨城県笠間市と栃木県益子町が共同申請した文化庁の「日本遺産」の認定結果が、近く発表される。ライバル意識から微妙な距離感があった両市町。だが、時代とともに陶芸家同士が壁をとりはらい、行政も後押しするようになった。

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 同じ文化圏から別々の道を歩んだ2つの地域が、製陶で再びつながる――。両市町はそんなストーリーを「かさましこ~兄弟産地が紡ぐ“焼き物語”~」と題して申請している。だが30年ほど前まで、陶芸家らの交流はほぼ途絶えていた。

 笠間焼と益子焼の起源は、いずれも江戸時代にさかのぼる。笠間焼は江戸中期・安永年間の1770年代ごろ、箱田村(現在の笠間市箱田)の久野半右衛門が、信楽の陶工の指導で築いた窯が起源とされる。江戸後期の1852(嘉永5)年、笠間で修業した陶工が益子に技法を持ち込んで益子焼が生まれたとされ、両市町は「きょうだい」の関係にある。

 いずれもすり鉢や水がめなどの…

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