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テリー伊藤さん、半生を語る
1949年、東京・築地生まれ。本名伊藤輝夫(てるお)。日大卒。「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」「ねるとん紅鯨団」など数々の人気テレビ番組を手がけた。著書に『お笑い北朝鮮』『お笑い大蔵省極秘情報』など多数。

 24時間365日、テレビの世界に身を捧げるつもりでした。期待に胸を膨らませながら入社したテレビ番組制作会社「IVS」は、東京・麴町の日本テレビの近くにありました。都心の一等地です。

 ですが、オフィスはワンルームマンションの一室。机が一つあるだけでしたね。

 社員は昔、テレビ局で働いていたおじさん2人。そしてすし職人から転身したという若者が1人いました。受付や庶務のスタッフはいませんでした。毎晩、ホットプレートで焼きそばを作ったりしてみんなで食べていました。

拡大する写真・図版就職活動用の写真=本人提供

 《それが企画会議だった。給料は驚くほど少なく休みもない。だが大好きなテレビの世界で仕事ができる。文句は言えなかった》

 やがてアシスタントディレクター(AD)として、日本テレビの「びっくり日本新記録」というスポーツバラエティー番組に参加しました。「後ろ向きマラソン」「仲居さんお膳重ね競走」といった視聴者参加型番組です。

 私は、もっとゲリラ的な番組を作りたいと思っていました。人間の潜在意識に眠っている下品な部分を映し出すような番組と言ったらいいでしょうか。

 もちろん予算はありません。でも「もう何も失うものはない」と考えると、むちゃくちゃパワーがみなぎってきたんです。電車の網棚に捨てられた新聞や雑誌を読んで色々考えましたね。物事を否定的にとらえだすと、テレビの仕事はやっていられませんよ。

 《そうして生まれた一例が「頑固オヤジ熱湯風呂我慢大会」だった。ばかばかしいが、いい年をしたオッサンが必死にこらえている。その姿は哀愁に満ちていた》

 視聴率は良かったのですが、やはり地味でした。もっと明るくて華がある番組を作りたいと思うようになりました。

左腕のない「マリンちゃん」

 遠回りの末、ようやくたどりついたテレビの世界でした。でも私は、人気タレントも予算も自由に使えない、弱小制作会社に勤めるテレビマンにすぎません。

 視聴率を稼がなければと気ばかりが焦っていたのでしょう。どこか空回りしていたようです。片目が不自由で斜視なことにもコンプレックスを感じていました。

 《そんなある日、東京・渋谷の風俗店に左腕のない「マリンちゃん」という女性が働いていることを知る》

 ガーンと頭をたたかれたような…

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