第1回最強官庁大蔵支配の揺らぎ 震源地はバブル後の証券界

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大鹿靖明
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企業監視20年①

 佐々木清隆(59)は5月8日、パソコンを通じて36人の受講生に切り出した。「これからグローバル金融規制と新しいリスクへの対応について講義します」。客員教授を務める一橋大大学院のMBAコース。働く人を対象にした夜学で、初講義はあいにくのコロナ禍でオンライン授業となった。

 佐々木は1983年に旧大蔵省に入省。同期25人は全員男性、うち佐々木を含む20人が東大卒。まだそんな時代だった。予算を編成する主計局や税制を担う主税局という主流ではなく、金融庁証券取引等監視委員会で金融機関の監督や金融犯罪の摘発にかかわり、旧大蔵の官僚生活36年のうち「企業監視歴20年」という異色のキャリアを歩んだ。それ以外の約10年は経済協力開発機構(OECD)や国際通貨基金(IMF)などに勤務。地味な服装が多い官僚には珍しく、「ちょい悪オヤジ」風なのは「画一的なファッションは嫌い」なのと長い海外暮らしのせいである。そんな彼が19年、金融庁総合政策局長を最後に退官し、一橋大大学院客員教授に就いた。その経歴は平成の企業事件史と重なる。「リスク管理はどうあるべきか、企業で働く皆さんの実践に生かして欲しい」と言う。

 佐々木はジャパン・アズ・ナンバーワンと日本が称賛されていた時代に「国際金融の仕事をしたい」と大蔵省の門をたたき、最初の仕事は金融制度調査会の事務局役だった。あのとき日本は米国を見習って金融自由化に舵(かじ)を切ったが、すでに彼の国で相次いでいた銀行の破綻(はたん)をまだ他人事と思っていた。プラザ合意後、ジャパンマネーが世界を席巻したころ佐々木はパリに勤務。順風満帆な官僚生活は、証券局総務課の課長補佐に着任した91年、大きく変わる。バブル経済の崩壊だった。

 最初の震源地は証券界だった…

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