拡大する写真・図版角栄と「四島」

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 冷戦下の1973年、田中角栄は日本の首相として17年ぶりにソ連を訪れ、首脳会談で北方領土をめぐり火花を散らした。「四島」へのこだわりを伝える極秘会談録を元に、全8回の連載で当時を振り返り、今日への教訓を探る。5回目の今回は、「四島」をめぐりブレジネフ書記長といよいよ大詰めの応酬。(敬称略)

拡大する写真・図版日程表

第4回首脳会談 1973年10月10日正午~午後0時50分 クレムリン宮殿・エカテリーナの間

 首相・田中角栄が訪ソし、日ソ国交回復から実に17年ぶりとなった首脳会談。田中の滞在した3日間で、この4回目が最後の会談となった。焦点は、会談後の共同声明での北方領土問題の扱いだ。

拡大する写真・図版1973年の日ソ首脳会談を終え記念撮影をする日本側関係者。前列右から2人目から左へ、田中角栄首相、大和田渉外務省欧亜局長、大平正芳外相、新井弘一外務省東欧1課長=同年10月10日、クレムリン。新井氏提供

 日本側は、前日の外相会談を受けた直前の事務レベル協議で「第2次大戦の時からの未解決の『問題』を解決して平和条約を締結する」という文案を提案していた。田中が訴えた「四島」や「領土問題」の明記からは譲ったが、「問題」と単数形で示せれば、それは領土問題と明記したも同然という狙いだ。

 対するソ連の最高指導者は、書記長を務めるブレジネフ。会談の冒頭、田中が「1時間くらいで能率的に討議したい。四島問題をコミュニケ(共同声明)でどういう表現で入れるか。この一点に絞りたい」と発言した。

 さらに「昨夕、外相間協議で知恵を出し合ったが、自分としてはもう少し『四つの島』くらい出したい」と述べ、「四島」明記を蒸し返す。だが、ソ連側は同席した首相のコスイギンが「10回言われれば11回同じ答えをするだけだ」と取り合わず、事務レベル協議をふまえたやり取りが始まった。

 外相のグロムイコは、日本案の…

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