拡大する写真・図版角栄と「四島」

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 田中角栄首相が1973年の日ソ首脳会談で迫り、北方領土問題解決が平和条約締結の前提だと確認された……。朝日新聞が入手した極秘会談録にやり取りが記され、日本政府も認めるこの会談の意義に異を唱える政治家がいる。いま日ロ交渉で安倍晋三首相に助言を重ねる鈴木宗男参院議員だ。その主張を聞いた。

連載初回)「四島」ソ連に迫った田中角栄 首脳会談の極秘議事録
 冷戦下の1973年、田中角栄は日本の首相として17年ぶりにソ連を訪れ、首脳会談で北方領土をめぐり火花を散らした。「四島」へのこだわりを伝える極秘会談録を元に、全8回の連載で当時を振り返り、今日への教訓を探る。今回は第7回。

 ――当時外務省のソ連担当課が作った会談録では、平和条約締結の前提に「諸問題」の解決があると言うブレジネフ書記長に対して、田中首相が「四島」の領土問題が「諸問題」に含まれることを確認し、書記長が「ダー」とうなずいたと記されています。

 「ダー」のところは、ソ連はそう受け止めなかったんです。その首脳会談でソ連側通訳だったチジョフ氏が後に駐日ロシア大使になり、1996年に私は大使館に行って確認しました。

拡大する写真・図版日程表

 チジョフ大使は当時を振り返り、田中首相の激しい剣幕にブレジネフ書記長は「ウオー、ウオー」とうなずいていただけだと言うんです。えらい剣幕で迫られた時に思わず相づちを打つことがあるでしょう。私はそれを想像します。

 ――首脳会談後の共同声明文書には「第2次大戦の時からの未解決の諸問題を解決して平和条約を締結する」と記されました。

 「四島」はもちろん、「領土問題」とも書かれていない。首脳会談は共同文書がすべてなんですよ。角栄さんは激しく迫ったが、ブレジネフの壁は厚かった。外交は互いの共通理解がなければ動かない。いわんや領土問題は簡単じゃないから首脳会談で文書にすることに重みがある。

拡大する写真・図版1991年にソ連の駐日大使だった頃のチジョフ氏。73年の日ソ首脳会談では通訳を務めた

 ――すると田中・ブレジネフ会談の意味とは。

 平和条約締結後の二島引き渡しを記した56年の共同宣言による国交回復以降、冷戦期は日ソ関係に前進はなかった。それを首の皮一枚つなげてきた数少ない首脳会談の一つですね。

 ――では領土問題の転機はいつだったのでしょう。

 91年のソ連崩壊です。新生ロ…

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