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 この夏も、甲子園に球音が響くことになった。日本高校野球連盟が10日、春の選抜大会に出場予定だった32校を招き、「交流試合」を8月に開催すると発表した。驚き、喜び、そして複雑な思い。春夏の両大会の中止が決まった後の知らせに、球児らは様々な表情を見せた。

 「決まったんよ、甲子園」。創成館(長崎)の稙田(わさだ)龍生監督は練習前、部員らに告げた。春夏通じて2年ぶりに、甲子園でプレーできることになる。部員たちは最初は困惑したような様子だったが、説明を聞くうちに笑顔に。「よっしゃ」。グラウンドへ駆けていった。

 稙田監督は「こんな元気な選手の声を聞いたのは2、3カ月ぶり」。上原祐士主将(3年)は「甲子園に立てない人の分まで全力でプレーする」と話した。

 磐城(福島)は昨秋の台風19号で被災した地元でのボランティア活動も評価され、21世紀枠で46年ぶりの選抜大会出場を決めていた。しかし大会は中止になり、3月末にはチームを率いた同校出身の木村保監督が他校へ異動。部員たちは「木村先生を甲子園に」との思いを胸に自主練習を続けてきたが、夏の全国選手権も中止になった。

 交流試合の開催を知り、「よく耐えた。野球の神様は見ていたな、と伝えたい」と木村さん。「野球の神様ってどこまで苦しい思いをさせるのだろう」と考えていたという岩間涼星主将(3年)は、チームメートに「悔しい思いも悲しい思いもしたけれど、(3年生は)甲子園で高校野球を終えられる。一日一日を大事にみんなで頑張っていこう」と呼びかけた。

 同じく21世紀枠で春夏通じて初の甲子園出場を決めていた平田(島根)。保科陽太(ひなた)主将(3年)は「コロナがあってたくさんの人が悔しい思いをしたと思うが、自分たちのプレーで元気を与えたい」。同校は、未就学児への野球の普及活動が評価されて選出された。「野球普及班」の坂田大輝君(3年)は「子どもたちが見てかっこいいと思うプレーをしたい。甲子園から帰ってきて、経験を伝えていきたい」と話した。

 選抜大会は18年ぶりの出場予定だった尽誠学園(香川)は、午後4時半ごろに白井良尚校長がグラウンドで交流試合の決定を説明すると、部員たちから笑みがこぼれた。

 菊地柚(ゆず)主将(3年)は神戸市出身で、甲子園で高校野球を観戦した小学生の頃から「甲子園出場」を目標にしてきたという。「このような状況でも野球ができることに感謝します」と話した。

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 春夏通じて甲子園で8回優勝の実績を誇る大阪桐蔭。西谷浩一監督は電話取材に応じ、「まさか甲子園で試合をさせていただけるとは考えていなかったので、正直びっくりしている」。今週から全体練習を再開。「子どもたちは甲子園に行くことを夢見てここまでやってきた。1試合だが、しっかり練習したい」

 8年ぶりの選抜大会出場だった倉敷商(岡山)は、練習前にグラウンドで川井敏之校長が交流試合の開催を告げると、約70人の部員たちは引き締まった表情でうなずいた。梶山和洋監督は「甲子園を目指して入学した部員が多く、心の収まりどころが難しかった。感謝の一方で、他校のことを思うと複雑だ」と話した。

 3季連続の甲子園出場を目指していた智弁学園(奈良)。井元康勝部長は「知らせを受けた3年生たちはキョトンとしていたが、じわじわと喜びを感じて気持ちを新たにできていた」。小坂将商(まさあき)監督は「32校以外のチームのことを考えると複雑な気持ちもある」と明かした。

 昨秋の近畿大会を制した天理(奈良)。86年夏の全国選手権優勝時の主将だった中村良二監督は、「初めは『えっ』と思って信じられなかった。あの場所で野球ができる幸せを自分も経験しているから、特別な思いがある」と述べつつ、「夏の大会が中止になったことを考えると、試合をしてもいいのかなという気持ちもある」と話した。

 選抜大会に5年ぶりの出場を決めていた県岐阜商の鍛治舎巧監督は、「甲子園の代替案は甲子園しかないと言ってきたが、関係者のご理解があって甲子園でゲームができる。灰になって燃え尽きる気持ちで、最後の1球まで全力を尽くす気持ちで試合をしてほしい」と部員に呼びかけた。