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 新型コロナウイルス蔓延(まんえん)の約1世紀前、世界中で大流行した「スペイン風邪」は宮城県内でどう広がり、人々はどう対処したか。大平聡・宮城学院女子大教授(65)=日本史=は、各地の小学校に残された当時の「学校日誌」の記録をたどり、今につながるヒントを探ろうとしている。

 スペイン風邪の国内第1波は、1918(大正7)年秋に本格化。翌19年春までに感染者は2100万人に上ったとされる。

 仙台・木町通尋常小学校の18年度の日誌によれば、当時全校児童が1500人近い中、通常30~40人だった欠席数が急増するのは同年11月。1日に71人、11日には最多の199人を記録する。年明けをはさんで1月には60~70人前後で推移し、2月以降、ようやく30人台に落ち着いた。

 他校の日誌からも、仙台の小学校がほぼ同じ推移をたどったことがわかる。児童死亡の記述も、何例かあった。

 農漁村部には少し遅れて波が来た。気仙沼・小泉尋常小の日誌で、最初に「流行性感冒」が登場するのは11月15日、18日には121人の罹患(りかん)がわかり、19日に臨時休校に入る。26日には校医が死去。12月11日にはこんな記述があった。

 「○○校医ニ対スル本校児童一同ヨリノ御悔金(おくやみきん)ヲ贈ル(金額五円四拾四銭)」

 大平さんは「医師の少ない漁村部で、校医は地域の治療に奔走し落命した。だから、子どもたちも心から悼んだのだろう」と読み解く。「学校日誌は、地域の記憶を伝える貴重な資料なんです」

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 県内での第2波発生は、翌19年1月ごろ。顕著なのは仙台市内の小学校で、調べた範囲では、農漁村部で欠席者増はあまりみられなかったという。

 一方、第1波の教訓も踏まえ、大人たちが対策に奔走する様もうかがえる。

 「○○訓導流行性感冒予防器受伝ノタメ午前十時市立工業学校ニ赴カレ……」(木町通尋常小、1月17日)

 「市立工業学校ノ流行性感冒予防用口覆製作ノ伝習アリ」(荒町尋常小、同)

 「放課後マスク製法の講習あり」(県女子師範学校付属小、1月23日)

 「感冒予防器」「口覆」とは、マスクのことのようだ。教諭(訓導)向けに手作りマスクの講習会があり、各校に持ち帰って伝えたらしい。全国的にもマスクやうがいが衛生習慣として根づいたのは、スペイン風邪がきっかけだった。

 この時期は、ワクチン接種も行われていた。登米・横山尋常高等小や仙台・県師範学校付属小の同年2月の日誌に、「ワクチン注射第一回施行」などの記載がある。ただ当時の新聞には、不良ワクチンや粗製品の中毒の記事もあり、接種が有効だったかどうかは不明だ。

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 大平さんは10年余り前から、歴史資料としての学校日誌に注目。明治期から終戦直後まで、県内で約200校分のデータを収集してきた。だが廃棄されてしまったものも多く、資料保存の大切さを訴える。

 1918、19年度の日誌が残っていたのは21校。新型コロナウイルスの感染拡大を受け、スペイン風邪の記述を改めて拾っている。整理を進め、「いずれ感染症の専門家にも分析してもらいたい」と話している。(石橋英昭