島崎周
1945年6月19日。福岡市中心部が米軍機による爆撃にさらされ、1千人以上の死者・行方不明者を出した。あれから75年。爆撃の中心地となった同市博多区の一角の電柱に、福岡大空襲の歴史を記した案内板が市民団体によって設置された。戦争の記憶が遠のく中、「次世代に伝えたい」との思いを込めた。
午前11時ごろ、店やマンションなどが立ち並ぶ福岡市博多区綱場町。電柱に博多の歴史案内板を取り付ける活動を続けている市民団体「ハカタ・リバイバル・プラン」の会長、立石武泰さん(68)は、旧唐津街道沿いの電柱に設置した2枚の案内板を見上げた。
一つには「1945年6月19…
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朝日新聞社会部