拡大する写真・図版2015年夏、高校卒業の際に両親と写真に納まる田中大史さん(田中さん提供)

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 米西海岸、サンフランシスコ市の自宅の窓からは、太平洋が見える。8千キロ先は、生まれ故郷の日本。ただ、もう17年間、帰っていない。

 田中大史さん(23)は18日朝、くり返し鳴るスマートフォンの通知音で目を覚ました。「おめでとう」「判決、見た?」。幼少期に両親に連れられて米国に入国した、不法移民の若者を救済する制度の「DACA」について、連邦最高裁がトランプ政権の廃止決定を覆した。「ここにいていいんだ。夢を追い続けていいんだ」。思いが、あふれた。

 じぶんは何者なのか。ずっと、そう自問して生きてきた。

DACA
「幼少期に米国に到着した移民への延期措置」の略称。2007年6月から継続的に米国に暮らし、制度が導入された12年6月時点で31歳未満▽米国入国が16歳の誕生日前▽通学中、高校卒業、高卒認定、軍や沿岸警備隊から名誉除隊したかのいずれか――などの条件を満たせば、2年間は強制送還の対象としない。更新も可能だが、市民権の付与につながるわけではない。

 宮大工の父、常雄さん(65)と、工場勤務でフィリピン人の母、ルースジョイさん(47)の長男の田中さんは1997年、静岡県富士市に生まれた。

 保育園では、ひどいいじめにあった。肌の色の濃さ、体形をからかわれ、2年間にわたって「ガイジン」「デブ」と呼ばれ続けた。環境を変えようと、一家は2004年、ルースジョイさんの親族が暮らす米国への移住を決断した。田中さんはまだ、6歳だった。

 アメリカの小学校に入学したときの記憶は、いまも鮮明だ。見た目が違うのはあたり前。国籍や生い立ちも、それぞれ、ばらばら。「アメリカの国旗のもとで、違いを認め合っている」と感じた。

田中さんのアメリカンドリームを、不法滞在を重ねながら支えた両親。いまは、太平洋を隔てて暮らします。この次、3人が再会できるのは、6年も先になるといいます。

 すぐに米国が好きになった田中…

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