新型コロナウイルスの感染が世界で最初に広がり、都市封鎖された中国・武漢市からの帰国チャーター便を運航した全日空の社員が23日、報道各社の取材に当時の様子を振り返った。
政府は1月下旬から2月中旬までチャーター機を計5回飛ばし、日本人とその家族ら計828人の帰国を支援。武漢支店空港所長の鶴川昌宏さん(52)は、全5便で搭乗を指揮した。武漢が封鎖された1月23日、日本で確認されていた感染者はまだ1人。マスクをつけている人も少なかった。朝の成田行きの便を空港で見送った後、空港職員に退去を命じられ、「取るものも取りあえず自宅に帰った」という。
チャーター機の話が持ち上がると、日本大使館職員とともに準備を進めた。武漢に住むスタッフを集め、20人弱で29日未明に折り返す初便の到着に備えた。同じ日には米国のチャーター機もあり、空港には日本人200人や米国人らで「割と人が多い印象だった」。
最低気温は零下に冷え込む武漢だが、「感染防止のため」として暖房は切られていた。米機が先に出発することになり、初便の離陸が2時間近く遅れたが、帰国を待つ人たちは冷静に整然と待っていたという。緊張をほぐすため、鶴川さんは笑顔を心がけたが逆に「必ず帰って来い」「絶対に感染するなよ」とねぎらいの言葉もかけられた。
チャーター便は初便から3日連続で飛んだ。前後4日間の睡眠時間は計3時間だったが、「やらなければいけないという気持ちが先で眠気は感じなかった」。4便目からは空港係員も防護服を着て対応した。2月17日の第5便で、最後まで現地に残っていた65人とともに鶴川さんも帰国した。顔見知りも多く、「戦友」のような気持ちになったという。「お客様に安心していただくというより、感謝しきれないくらいの勇気をもらった」
第1便の機長を務めた支倉暢彦さん(52)は、「お客様は空港で寒い中待たされていた。帰国してから通常とは違う対応になることもあって、ねぎらうアナウンスを心がけた」。客室乗務員の石黒麻里子さん(49)は「機内に入ると、みなさん安心してすぐにお休みになっていた。無事に帰国してもらうことが使命だと思っていたので、恐怖感はまったくなかった」と振り返った。(贄川俊)
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