謎の従軍、食うための入党…知られざる朝鮮戦争と日本人

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大部俊哉 清水大輔
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 朝鮮戦争の勃発から25日で70年を迎える。400万人以上が犠牲になったとされる戦場には、日本人の姿もあった。その遺族や元兵士らは、戦争の悲惨さと無益さを訴えている。

 東京都町田市にある集合住宅で、平塚昭正(てるまさ)さん(84)は70年前に戦死したとされる14歳上の兄、重治さん(当時29)の思い出を語り始めた。仏壇には韓国で撮影されたという重治さんの白黒写真を飾っている。

 重治さんは太平洋戦争ニューギニア戦線に派遣され、部隊が壊滅するなか生還した数人の一人だった。東京で家族6人で暮らしていた1950年1月、知人から「米軍の建物の壁に絵を描く仕事がある」と誘われ、六本木にあった米軍基地で、住み込みで働き始めたという。

GHQの予想外の通告

 その後、家族は次第に連絡が取れなくなり、同年6月に朝鮮戦争が始まってしばらくした頃、死亡を伝える知らせが届いた。中学2年生だった昭正さんは号泣する父の姿を覚えている。

 昭正さんが連合国軍総司令部(GHQ)に英語で手紙を書いて経緯を問い合わせると、米軍から写真と手紙が送られてきた。写真にはテントの前に立つ重治さんが写っており、手紙には次のような記載があった。

 「ネオ平塚は国連軍兵士に変…

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