拡大する横田滋さんの43年
拉致被害者横田めぐみさんの父滋さんの半生をたどる連載第4回は、滋さんが撮影した家族写真をめぐる話です。
横田めぐみさんが生まれたのは東京五輪開幕直前の1964年10月5日。朝、「おなかが痛い」という早紀江さんをタクシーで名古屋市の日本銀行行舎(社宅)から市内の聖霊病院まで送った滋さんは、医師から「すぐにも生まれそうだ」と聞き、あわてて勤務先の日銀名古屋支店に戻った。愛用のカメラを取りに行くためだ。
赤ちゃんが夕方に生まれると、産湯につかるところを夢中でシャッターを押した。看護婦さんに「お父さん、外で待っていてください」と注意されたほどだった。
拡大する生後5カ月のめぐみちゃんを抱いて、初節句を祝う横田滋さん。女の子の誕生を待ち望んでいた滋さんは「この時のぬくもりは今でも忘れません」(1965年3月、名古屋市の自宅、横田早紀江さん撮影、あさがおの会提供)
滋さんはカメラが趣味で、現像や焼き付けも自分でするほどの腕前。東京、広島、新潟と転勤し、双子の弟2人が生まれると、滋さんは家族を旅行に連れて行った。笑顔の家族や、おどけた表情のめぐみさんを撮った。「お嫁に行く時にでも持たせようか」と考えていた。
しかし77年11月15日、めぐみさんが突然失踪した。太陽のような存在を失った一家は、灯が消えたようになった。いつ帰るかわからない娘の帰りを待つため、自宅玄関のカギは開けたままに。家族そろっての遠出はなくなり、滋さんも写真を撮らなくなった。
自宅で眠っていたアルバムを滋さんが再び引っ張り出したのは、拉致事件を描いた漫画「めぐみ」が2004年暮れから「漫画アクション」誌(双葉社)で連載されたのがきっかけ。めぐみさんの成長の足跡を家族写真と両親の思い出話でたどる企画記事が、漫画本編にあわせて載った。
拡大する旅行先で記念撮影する横田滋さん(左)一家。めぐみさん(中央)は当時小学2年(1972年、広島県内、あさがおの会提供)
掲載された家族写真を見て「滋さんが撮っためぐみさんの写真展を開いてあげたい」と発案した人たちがいた。日銀退職後、川崎市に住んでいた横田さん夫妻の近隣住民でつくる支援団体「あさがおの会」のメンバーたちだ。
あさがおは、めぐみさんが大好きだった花。会は03年に結成された。拉致問題解決を訴えて横田さん夫妻が集めた署名簿の整理や新聞記事のスクラップ、大使館への訴えなどの支援活動を続けていた。
滋さんは当初、「こんな普通の家の写真にどれだけの人が関心を持つだろうか」とちゅうちょした。早紀江さんも「生まれたばかりのめぐみを抱いた重さ、あの子の言葉、香り、外の気温や風の感じまですべて克明に覚えています。めぐみが今、どうなっているかわからないのに、幸せだったときを何回も回想しなきゃならないのは本当につらい」との気持ちだった。
あさがおの会の森聡美さんらが…
残り:1457文字/全文:2453文字
【5/11まで】デジタルコース(月額3,800円)が今なら2カ月間無料!詳しくはこちら
速報・新着ニュース
あわせて読みたい
PR注目情報
※Twitterのサービスが混み合っている時など、ツイートが表示されない場合もあります。
朝日新聞国際報道部