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 高校野球の発展に長年尽力した指導者を日本高校野球連盟と朝日新聞社が表彰する「育成功労賞」に、愛知からは愛産大三河の竹治玄造さん(59)が選ばれた。同校の初代監督で、甲子園にも出場する強豪校に育て上げた。現在は部長としてチームを支えている。

 1―29。監督として臨んだ最初の夏のスコアが指導者としての原点だ。1983年、大学卒業と同時に開校したての三河(現・愛産大三河)で社会科教諭に。すべて「1年生」で臨んだ夏の愛知大会初戦で、前年8強の岡崎工と当たった。

 「勝てないにしても、何とか試合になるだろう」。その考えはすぐ消えた。相手の攻撃は4イニングのみのコールド負けでも、「なかなか試合が終わらなかった。当時は、戦後の最多失点記録と言われました」。それでも「どうしても点を取りたかった」と仕掛けた重盗に悪送球が重なった三回、「1」を記した。

 安城市で生まれ、兵庫県で育った竹治さんは兵庫・東灘高、愛知学院大時代に捕手としてプレーした。高校野球の監督になると、最初は文字どおり手作りだった。「道具もそんなになくて、打撃練習用に丸めた新聞紙をガムテープでとめてボールを作っていた」

 夏の初勝利は4年目だったが、投手を中心としたチームづくりで徐々に力を付ける。1988年のプロ野球ドラフト会議では同校の太田勝正投手が6位指名を受け、ダイエー(現ソフトバンク)に入団。同期の原田政彦選手は大学、社会人を経て中日に入った。

 初の甲子園出場は1996年夏。「その5年ほど前から、『甲子園に行く』と声にして言うようにしていたんです。生徒に対しても『甲子園に行くぞ』って。すべて意識付けのような感じでしたね」と笑う。

 阪神甲子園球場は、高校まで過ごした“地元”だ。高校時代の友人も多く試合に駆けつけ、「みんな喜んでくれてうれしかった」。チームを2000年の選抜大会出場にも導き、15年春に監督を退く。夏の第100回記念大会は、部長として甲子園の土を踏んだ。

 部員には、三つの「り」を大切にするようにと伝えてきた。「『目配り、気配り、思いやり』。試合に出られない部員もいるので、選手はそのことを思って欲しい。逆に、試合に出られなくても、出ている選手を応援できる部員になって欲しい。そんな気持ちを大事にするチームになってほしい」と、思い続けてきた。

 今年は新型コロナウイルス感染拡大の影響で夏は選手権大会がないが県独自の大会がある。「コロナ対策で高野連も大変だし、審判も大会までに経験する試合が少ない。みんなで乗り越える夏になればと思います」(上山浩也)