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 めったに感情を表に出さない遠藤の目が、潤んでいた。2012年12月1日。ヤマハスタジアムで磐田に敗れ、クラブ史上初のJ2降格が決まった。

遠藤保仁 632の金字塔①
 7月4日に再開されるサッカーの明治安田生命J1で、ガ大阪のMF遠藤保仁が前人未到の領域に足を踏み入れようとしている。J1新記録となる通算632試合出場。朝日新聞の歴代担当記者によるリレー形式のコラムで、偉業をたたえます。

 当時は代表の主力、1年半後にはワールドカップ・ブラジル大会が控えていた。貴重な時期をJ2で過ごすのは……。試合後に遠藤は、「契約が残っているので、基本的には残る」と話した。ただ、違約金を支払うクラブがあれば移籍は可能。その去就に、誰もが注目した。

 当時の主力のひとりが明かした。「どうするんですかと聞いたら、『ん? 残るよ』と。だからみんな、ヤットさんと一緒に1年でJ1へ戻るぞ、と覚悟を決めた」。他クラブからオファーが届きながら、ガ大阪はほとんどの主力が残留。見事にJ2を制し、1年でJ1に返り咲いた。

 当時の副社長で13~16年に社長を務めた野呂輝久さんは、「『降格は自分の責任だから』と。ためらいなく、J2で戦うと言ってくれた」と証言する。「あんなに緊張し、硬かったヤットは、あの磐田戦だけ。人に見せないけれど、内にはものすごい悔しさ、葛藤を抱えていた」

 だからか、ピッチ外でもクラブへ貢献する姿があったという。当時、ガ大阪は新スタジアム建設のために募金をしていた。それもJ2降格によって苦戦、そんなさなかのファンイベントでのことだ。「何もお願いしていないのに、最後にさらりと『みなさん、募金してねー』と、言ってくれてね。涙が出た」(野呂元社長)

 14年。ガンバは大逆転でJ1優勝を果たし、ナビスコ杯(現ルヴァン杯)、天皇杯との3冠を達成。遠藤は初のリーグMVPに輝いた。新スタジアムも16年に開場。一番苦しい時にみせた遠藤の男気があったから――。ガンバの栄光を目にするたび、そんな思いがよぎる。

 時が経って一度、あのときの残留宣言について尋ねたことがある。「そうでしたっけ?」。その答えが遠藤らしく、また、たまらなく格好良かった。(2012~13年ガ大阪担当・藤木健

次回は、遠藤が日本代表の「心臓」と呼ばれていた頃を振り返ります。