そうです、私たち志村ロスです とめどない感謝と喪失感

有料記事ニュース4U新型コロナウイルス

小林太一 波多野大介

皆さんの身近な困りごとや疑問をSNSで募集中。「#N4U」取材班が深掘りします。

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 志村けんさん(当時70)が、新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなって3カ月。その死を受け止めきれない人たちの書き込みが今もネット上にあふれる。暮らしの疑問や悩みを募って記事にする「#ニュース4U」にも「志村ロス」を訴える声が寄せられている。取材班が志村さんの地元やゆかりの人たちを巡り、改めてその軌跡をたどった。

「私たちのヒーロー」

 東京・新宿から西武鉄道の急行で30分余り。志村さんが生まれ育った東京都東村山市を6月上旬に訪れた。

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 東村山駅前には3本のケヤキがバス停を包むように緑の枝を広げていた。民謡「東村山音頭」を「ザ・ドリフターズ」のメンバーだった志村さんが替え歌にし、市の名前を全国に広めた1976年に植樹されたケヤキで、その功績から「志村けんの木」と名付けられた。市制施行50年の2014年、志村さん直筆の案内板も置かれた。

 ケヤキの下のベンチに座っていた86歳の女性に、志村さんのことを聞いてみた。「私たちのヒーロー。テレビであんなに活躍してすごいでしょ」

 志村さんは30代後半、「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」(TBS系)「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)などの番組で、その人気を不動のものにした。

 結婚を機に東村山に住んで50年以上になるという女性は「30代の頃、駅で志村さんをよく見かけたのよ。誰もが知っている人になって誇らしかった。亡くなって本当に寂しい」。

「ずっと売り続けて」願うファン

 駅から延びる一本道を10分ほど歩くと、「だいじょぶだァー饅頭(まんじゅう)」と書かれた幕が目に入る。

 1876年創業の和菓子店「餅(もち)萬(まん)総本店」。店内には志村さんのギャグ「だいじょうぶだぁ」や「だっふんだ」を名前に取ったもなかやどら焼きが並び、多くのファンが訪れる。

 亡くなった父親が志村さんと小学校の同級生という深井駿社長(38)は「志村さんのファンは『ずっと売り続けてください』と言ってくれます。温かくて勇気づけられる」。

物静かな末っ子

 さらに足を延ばし、志村さんの実家を訪ねた。駐車場に兄の知之さん(73)の姿があり、取材を申し込むと、その場で30分ほど弟への思いを語ってくれた。

見ていたテレビ番組こそ違っても、世代を問わず愛され続けた志村けんさん。家族や共演者が語る思い出、そして#ニュース4Uに寄せられたファンからのメッセージを記事後半で紹介します。

 コロナの感染を防ぐため、病…

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