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指導者35年「育成功労賞」 中山 隆幸さん(59)

 工業高校4校で野球部の指導者として35年間。長年、高校野球の発展に尽力した指導者に贈られる「育成功労賞」に選ばれた。ウェートやメンタルのトレーニングを先駆的に採り入れた一方、理想に掲げ続けるのは「最後まで諦めない野球」。コロナ禍で迎える「夏季県高校野球大会」(7月18日開幕)にも変わらぬスタンスで挑む。

 「ええぞ」「思いきり振れよ」。4年前から教える岡山工で素振りを繰り返す部員に盛んに声をかける。消極的なプレーには雷を落とすが、ひたむきな努力はとことん称賛する。レギュラーであってもなくても指導は変わらない。

 高校生の頃、上意下達の空気が強い部内でほめられたことがなかった。先輩より先には帰れないなど理不尽なしきたりもあった。入学後に80人いた同級の部員は、最後は14人に。「指導者になり、目いっぱい頑張りを認めてやろう」。そのころに誓った。

 1984年に赴任した笠岡工は、試合に出ればコールド負けが珍しくないチームだった。他校と同じ練習をしては勝てないと、導入したのが当時はまだ珍しかったウェートトレーニングだ。

 機械科教員の腕をふるい、バーベルの棒とベンチプレス台を5組自作。部員らは熱心に上半身の筋力強化にいそしんだ。すると、スイングスピードはみるみる速まり、遠投も伸びた。6年目に県大会8強入り。手応えを感じた。94年に倉敷工へ。22年を過ごすことになる母校での指導者生活で、甲子園の土を3度踏んだ。

 今も語り継がれるのは、倉敷工を34年ぶりの選抜大会に導いた2009年春。「倉敷工史上最弱」とささやかれた当時のチームは、全力疾走とフルスイングで力を伸ばし、驚異的な粘り強さで中国大会を勝ち上がった。

 金光大阪との開幕試合。「エラーでも三振でもいい。とことんやったれ」と選手の背を押し続けた。4度リードされながら追いつき、延長十二回サヨナラ、11―10で勝利をつかんだ。

 サヨナラ打を放った選手は、入部時は線が細く「できません……」が口癖だった。「まだできる!」と声をかけ続けた結果、精神的なもろさを克服。ウェートで鍛えた筋力を生かし、勝負強い長距離打者に成長した。勝負を決めたフルスイングに、彼の成長を感じて胸が詰まった。

 5月末、夏の選手権大会の中止が決まり、部員にオンラインで呼びかけた。「これまでやってきたことには絶対に意味がある。甲子園はなくなったけれど、野球を通して人生を豊かにしよう」

 勝ち負けも大事だが、人間育成こそが野球の目的。最後の夏を迎える選手にそう伝えたい。(中村建太)

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 なかやま・たかゆき 1960年生まれ。倉敷工の一塁手として2、3年のいずれも岡山大会8強。指導者として春夏計3回、甲子園に導いた。2016年から岡山工で部長に。教員としては機械科で製図や溶接を教える。