拡大する写真・図版夕日に照らされる用水路沿いのカンナ 写真/森 千里

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 ここのところ神経難病の患者さんたちのことで、慌ただしい日々が過ぎてゆく。

 重症筋無力症の患者さんが、食事がとれず、薬も飲めなくなった。患者さんはもともと、大野内科の先々代の院長時代からの長い通院歴がある。

 重症筋無力症を発症して、大学で治療を受け、地域の県立病院へ出張診療に来る大学の先生に診てもらっていた。ぼくはかかりつけ医として、相談に乗ってきた。

 昨年から調子が落ちていたが、食事にむせてから急にのみ込めなくなった。ぼくの診療所を受診したが、重症筋無力症の薬が飲めないので、これからの見通しが立たない。

 大学の先生に電話で相談、地域の県立病院に入院のお願い、いろいろがあってのちに、大学病院までの百キロを超える救急車での搬送となった。

 その日の午後三時、保健所職員、訪問看護師、人工呼吸器の会社の人、そしてぼくが患者さんの家に集まった。この日は、筋萎縮性側索硬化症の患者さんの痰をとる機械、低圧持続吸引器を取り付けることにしていた。患者さんは七十六歳、自宅で人工呼吸器を使い、胃ろうから栄養を入れている。痰の吸引回数が多くて、介護する家族が困っていた。

 吸引器専用の気管カニューレ(気管切開口から気管に留置する筒状のもの)に、ぼくが入れ替えた。取り付けたチューブから痰が引かれてこないし、患者さんが「何か違う、痰が溜まっている」と小さなボードに書く。訪問看護師が今までのように手でチューブを使って吸引するが、痰はとれない。「ちょっと慣れるまで様子を見ましょうよ」と、ぼくは他の患者さんの家に向かった。

 最後の患者さんの訪問を終えたのが午後六時前。さっきの患者さんの家に電話を入れた。「痰を取ってくれの繰り返しです」との家族の話。

 「今から行きます」と、四万十川の下流の集落から川に沿って、夕日に向かって往診車を走らせた。

 「元の気管カニューレに戻しましょうか」と、言ったら患者さんは胸の前で手を合わせた。どの患者さんも、ちょっとした変化に敏感だ。予備の気管カニューレに入れ換えたら、途端にすやすやと眠りだした。

 その翌日、同じ病気の別の患者さんの微熱の知らせ。この患者さんも人工呼吸器を付けて、胃ろうを造っている。祝日の朝に電話を入れた。介護する妻が、いつになく不安そうな言葉を口にする。太平洋を見ながら海岸線に沿って、往診車を走らせること四十分。今度は朝日のなかを進む。

 筋萎縮性側索硬化症で人工呼吸器と胃ろうを使う三人の患者さんに、ぼくは今かかわっている。いろいろありながら、患者さんは毎日を過ごしている。患者さんを支える家族、そして多職種の人がその周りにいる。ひとだけでなく、四万十川もそのいのちを応援している。(アピタル・小笠原望)

拡大する写真・図版<ことば・四万十の流れのように生きて死ぬ> 四万十川は196キロを蛇行を繰り返して、太平洋に注ぎます。海に近づいて、また山側に大きく蛇行する地点があります。四万十川ほどではないにしても、ひとの生きてゆくのも、あの時この時と曲がり角があります。「それでよかった」と、それが自然の流れのように感じて最期の時を迎えたい、そんなふうに思います。

アピタル・小笠原望

アピタル・小笠原望(おがさわら・のぞみ) 大野内科医師

1951年高知県土佐市生まれ。76年弘前大学医学部卒。高松赤十字病院などを経て97年大野内科(四万十市<旧中村市>)。2000年同院長。18年12月から同医師。在宅医療、神経難病などの分野で活躍中。最新の著書は「診療所の窓辺から」(ナカニシヤ出版)。