安倍晋三首相の自民党総裁としての任期の終わりが見え、自民党は節目を迎えています。「1強政治」を支えてきた党の変容と実像を追う連載「自民党 長期政権の果てに」。初回は、総裁に次ぐナンバー2である3人の幹事長から、党の変遷を読み解きます。
7月30日夜、東京・丸の内の日本料理店。首相の安倍晋三は、長期政権を支える自民党政調会長の岸田文雄の労をねぎらっていた。安倍はステーキ、岸田は鶏のショウガ焼きを注文。ビールとウイスキーの水割りを酌み交わしながらの食事の話題は、党役員人事にも及んだ。
「秋は人事ですよね」。岸田は安倍に水を向けると、念願の幹事長就任への意欲を伝えた。2人だけの会は2時間近くに及んだが、安倍は人事のタイミングや具体的な人名を挙げることはなかった。岸田は安倍の心中を推し量る。「ぎりぎりまで迷ってお考えになるんだろう」
外相など要職を歴任した岸田だが、党ナンバー2の幹事長の座には、ほかの役職とは違う重みがあった。選挙や人事、資金の差配などで絶大な権限を握り、首相への登竜門とされてきたからだ。かつて党内でしのぎを削り「三角大福中(さんかくだいふくちゅう)」と呼ばれた三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘は、いずれも幹事長を経て首相となった。
長期政権下ではとりわけ、幹事長ポストは党のリーダー育成に大きな意味を持った。佐藤栄作は田中、福田を競わせるように起用し、中曽根は後に後継指名する竹下登を据えた。安倍も2003年、当時の首相小泉純一郎から当選3回で幹事長に抜擢(ばってき)され、その後のステップにつなげた。
だが、2012年末からの連続在職日数が8月下旬に歴代1位となる安倍が起用した3人の幹事長に、後継育成へのこだわりはうかがえない。自らの地位を脅かす存在は遠ざけ、総裁候補とみなされない重鎮を据えた。「首相にとって党ナンバー2は、足元を安定させるための装置」。安倍の出身派閥・細田派幹部はそう言い切る。
政権奪還当初は「ベストメンバーで」
第2次安倍政権で最初に幹事長に就いた石破茂は7月22日未明のフジテレビのトーク番組で、こんな分析を披露した。
「いちいち謝り、非を認めた…