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 太平洋戦争末期の1945年7月4日未明、米軍は高松、徳島、高知の各市を無差別爆撃した。広島に原爆が投下された8月6日には今治(愛媛県)が爆撃で焦土になるなど、四国各地でも大勢の市民が空襲の犠牲になった。敗戦後、体験者や遺族は戦争の惨禍を忘れまいと、各地で追悼を続けてきた。75年目になる今夏は新型コロナウイルスの影響で行事の規模の縮小などを余儀なくされている。

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 香川県で最も被害が大きかった空襲は、1945年7月4日の高松空襲だ。

 高松市平和記念館によると、4日未明、約100機のB29爆撃機が来襲。約2時間の攻撃で市街地の約8割が焼け、1359人が亡くなった。

 市がまとめた高松空襲戦災誌によると、犠牲者の多くは子どもや女性、高齢者だった。6月29日に空襲を受けた岡山市は、香川県や高松市に市民の疎開を勧めたが、治安当局の反対で実現しなかったとされる。疎開しようとした人が警防団員に止められた、とする記録もある。空襲時、避難せずに消火に努めて亡くなった人もいた。

 高松空襲後も各地で米軍戦闘機の攻撃が続き、小豆島と高松を結ぶ定期船や宇高連絡船が標的になった。

 空襲犠牲者の遺族らは58年、被害が甚大だった栗林公園北側に慰霊堂「六角堂」を建立。2003年には犠牲者名を刻んだ慰霊碑も建てた。

 遺族らでつくる六角堂保存会によると、身元が判明していない犠牲者が今なお100人ほどいるという。

 毎夏、遺族たちは慰霊祭を開いてきたが、今年は新型コロナの影響で中止にした。保存会会長の久米雪香さん(69)は「慰霊祭は平和の発信の場。慰霊祭の形が変わっても、これからも発信を続けたい」と話している。(木下広大)

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 愛媛県は各地で空襲に遭った。松山、今治、宇和島の3市の被害が大きく、犠牲者は計1千人を超えた。

 松山市では1945年、松山海軍航空基地が数回爆撃を受けた後、市街地も攻撃対象になった。同年7月26日夜、米軍のB29爆撃機が市中心部に焼夷(しょうい)弾を投下。県史によると、全戸数の半分以上にあたる約1万4300戸が焼失し、死者は251人に及んだ。

 今治市は同年4月26日~8月6日に3回の空襲を受け、市街地は焦土と化した。市によると、死者は551人に達し、県内では最も犠牲者が多かった。

 宇和島市は5月10日~8月8日に9回繰り返し攻撃された。市によると、死者は278人に達した。

 戦争の記憶を継承するため、松山市の「平和の語り部」事業では空襲体験者や広島での被爆者らが小中学校に赴き、戦争の悲惨さと平和の尊さを伝えている。今夏は新型コロナ対策でオンラインで実施する。

 宇和島市では89年、市民らの募金で空襲死没者を追悼する「平和祈念碑」が建てられた。「宇和島空襲を記録する会」が毎年5月に追悼式を開いてきたが、今年は「集い」とし、親子連れら参加者で詩を朗読した。代表の黒田美知子さん(80)は「宇和島空襲を知らない子がいる。子どもが参加しやすい場にしていきたい」と話した。(寺田実穂子)

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 徳島県では、徳島市で1945年7月4日未明、米軍のB29爆撃機が焼夷(しょうい)弾を大量に投下した。

 市史によると、この「徳島大空襲」では南方洋上から襲来した米軍機129機が市街地を無差別攻撃した。午前1時24分から約2時間にわたる爆撃などで約1千人が死亡、負傷者は約2千人に及んだ。

 多くの遺体が市の北方を流れる吉野川河川敷で火葬された、との記録が残る。

 吉野川や市街地を一望できる徳島中央公園の城山には、空襲の犠牲者を悼む「徳島戦災犠牲者慰霊塔」=写真=が立つ。空襲から10年後の1955年7月、遺族有志らの手で建てられた。背面に「徳島市亦コノ災ヲ免ル能ハス同年七月四日未明一瞬ニシテ灰燼ニ帰ス」と刻まれている。

 ただ、公園内は慰霊塔の存在を示す道標などは少ない。200段余りの石段をのぼらないとたどり着けず、訪れる人は少ない。

 毎年7月4日、「徳島戦災遺族会」が空襲犠牲者の追悼式を営んできたが、今年は新型コロナの影響で中止になった。

 一方、市民団体「反核・憲法フォーラム徳島」は4日午後2時から公園近くの施設で「第23回徳島大空襲を語るつどい」を開く。毎年語り部らが話をしたが、今年は、空襲体験者の講演をDVD上映するなど規模を縮小する。(雨宮徹)

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 高知県史(1970年発行)によると、県内は1945年1~8月、繰り返し空襲に見舞われ、死者は647人、重軽傷者は千人余りに及んだ。

 最大の被害が出たのが7月4日未明に高知市と周辺が受けた空襲で犠牲者434人、重軽傷者656人、行方不明者22人に上った。市戦災復興史(69年発行)は「焼夷弾(しょういだん)は雨の如(ごと)く、市内の大部は焼土と化した。市の上空で接触したB29両機が空中分解して落下したほど――」と伝えている。

 市中心部を流れ、今もアユが遡上(そじょう)する鏡川。空襲時に多くの市民が火炎から逃れて飛び込み、川べりには遺体が並べられた。

 2004年、市は追悼のために「平和祈念の碑」を建立した。碑の中には犠牲者の名簿が納められ、遺族らから申請があれば追加される。今年は9年ぶりに4人が新たに加わり、計433人になった。

 碑の前では毎年7月4日、平和祈念式が営まれる。16回目となる今年は新型コロナの影響を受ける。市民でつくる高知センター合唱団は合唱をとりやめたが、希望者が参列することにした。指揮者の岡村陽子さん(74)は「歌わないけれど心を寄せていこうと。空襲を忘れず語り継いでいきたい」と話す。

 参列をためらう遺族らに配慮し、市は献水や献花を式終了後も受け付ける。(清野貴幸)