拡大する写真・図版空襲から逃げる紙芝居の場面=岡村正弘さん提供

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 75年前の「高知大空襲」で高知市の「平和資料館・草の家」の館長を務める岡村正弘さんは母と妹を亡くした。400人以上が犠牲になったが、岡村さんは焼夷(しょうい)弾による火炎の中を生きのびた。「戦争体験者は黙っとったらいかん」。83歳になった今も、紙芝居を使って平和を語り継ぐ活動を続けている。

 1945年7月4日未明。空襲警報で目を覚ますと、外は昼間のように明るかった。国民学校2年、8歳だった岡村さんはそれまでの警報と比べ「ただ事ではない」と感じたという。

拡大する写真・図版爆撃機が焼夷弾を落とす紙芝居の場面=岡村正弘さん提供

 両親と4人きょうだいの6人家族で、市中心部で暮らしていた。地区の消火役を割り当てられた父市郎さんと兄一雄さんを残し、4人は住民が共同で使う防空壕(ごう)へ向かった。だが、姉の万里子さんは近くに落ちた焼夷弾に驚き、自宅の方へ引き返した。

拡大する写真・図版防空壕に避難した紙芝居の場面=岡村正弘さん提供

 母留意(とめい)さん、2歳の妹昭子さんとたどり着いた防空壕(ごう)はすでに大勢の住民で埋まっていた。畑の地下に造られた壕の中は真っ暗で、蒸し暑く息苦しい。「ここにおらないかん」と母に諭されたが、岡村さんは我慢できず、母の手を振り切って飛び出した。母と妹との最期の別れになった。

 なんとか逃げ帰った自宅周辺は…

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