「ごめん、もうあかんわ」 豪雨の夜、途切れた母の電話
華野優気 能登智彦
災害関連死を含めて296人が死亡、8人が行方不明となった西日本豪雨から2年となった6日、各地で追悼行事が開かれた。
「災害は想像を超える力で襲ってくる。このことを、祖父と大切な思い出を引き換えに身をもって知りました」。岡山県倉敷市の追悼式で、同市の会社員須増藍加(すますあいか)さん(33)は、遺族代表として語った。「家族や周りの方々と支え合って強い絆を持って頑張ることが、弔いになり、祖父も喜んでくれるのではないか」
豪雨の夜、7月7日に日付が変わった頃。市中心部で暮らす藍加さんと夫・拓哉さん(32)は、真備町箭田(やた)に住んでいた藍加さんの母の千穂さん(61)と、電話をつなぎっぱなしにして代わる代わる話し続けていた。母の傍らには、祖父の清四郎さん(当時92)がいた。
築半世紀近い、母と祖父の家はミシミシ揺れた。2階まで濁流が迫ったと訴える母のそばで、祖父は「何があったんな」とよく理解できていない様子だった。
1時間ほどたち、母が言った…