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 甲府空襲から6日で75年。1127人もの犠牲があったことを後世に伝えようと、甲府市内で平和集会が開かれた。一方、新型コロナウイルスの影響から、数十年間続いてきた平和行進や企画展は中止に追い込まれ、関係者を残念がらせた。(永沼仁)

 米軍の爆撃があったのは、太平洋戦争末期の1945年7月6日深夜から7日未明。山梨県庁やデパートなどの建物を除き、市街地は焼け野原となった。

 この惨禍を語り継ぐため、市役所駐車場で6日午後6時半から、平和集会が開かれた。県労働組合総連合(山梨県労)を事務局とする実行委員会の主催。例年100人以上が出席するが、今年は「密」を避けるため参加者を絞り約60人に抑えた。

 集会の前に実施してきたのが「甲府ちょうちん平和行進」。今年で46回目になるはずだったが、中止にした。実行委は「感染リスクを考え、宣伝カーによる訴えに変更せざるを得なかった」と悔しがる。

 県立図書館で開催を予定していた恒例の「甲府空襲 戦争と平和・環境展」も中止となった。県教職員組合(山教組)を事務局とする実行委の主催で、今年が39回目になるはずだった。

 例年、朗読会や体験者の話を聞く催しもあり、小中学校からの見学も多かった。「語り部の中にはかなりの高齢の方もいて、仕方ないという声が多かった。子どもたちにとって貴重な場だっただけに残念です」と実行委。展示の代わりに今年は市内にちらしを配布した。(永沼仁)

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 〈甲府空襲〉 1945年7月6日深夜から7日未明にかけ、米軍により甲府市が空襲を受けた。「たなばた空襲」とも呼ばれる。甲府市史によれば、飛来したB29爆撃機は131機、約970トンの焼夷(しょうい)弾が投下され、1127人が死亡し、1万8094戸が被害を受けた。市街地は焼き尽くされ、市発行の「甲府空襲の記録」(74年)には、市の面積の74%に及んだとの記述もある。被害は石和、昭和、竜王など甲府周辺の13町村(当時)にも及んだ。作家の太宰治も疎開中に被災している。