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 声を詰まらせながら、自分たちのことを「特別な代」と言ってくれた。その監督の言葉を聞いて、決意が揺らぎそうになった。

 6月に練習が再開して1週間。仙台城南の丹野友貴主将(3年)は、コーチ室で角晃司監督(60)と向かい合っていた。

 「やっぱり、自分は引退します」

 1時間ほど前にあった進路面談でも、角監督は「それで本当にいいのか?」と何度もたずね返してきた。押し問答は30分近く続き、話はまとまらなかった。

 前日の夕食後、親からも「主将なんだからやめちゃダメ」と引き留められた。でも、ここで中途半端にしたら先に進めなくなる。全員の面談が終わった後、もう一度行った。

 角監督は涙ながらに、背中を押してくれた。

 「自分が正しいって思う道が一番正しい。誰がなんと言おうと、その道を進めばいい」。自分のためのその言葉を、信じようと思った。

 「特別な代」――。

 丹野君は、プロ選手も育った強豪の硬式野球チーム出身。1年夏から4番を任され、長打力で打線を支えてきた。

 昨秋の地区大会。試合中に強振して、左肩を脱臼した。戦線から離脱したが、チームは初めて東北大会に出て、4強入りする快挙を成し遂げた。

 仲間の活躍を見守ることしか出来ない歯がゆさがあったものの、「友貴が4番に復帰したら、絶対甲子園行けるよな」と仲間たちに奮い立たされた。

 直後に左肩の手術で1週間入院。一人で服を着ることすら出来ない痛みが続き、リハビリに耐えた。夏にすべてをぶつけ、自分のバットで甲子園に導くつもりだった。

 だが、2カ月ぶりに練習が再開した6月1日、14人いる3年生一人ひとりにLINEで思いを聞くと、ほぼ半数が早期引退を明かした。憧れていた甲子園への道が断たれ、受験勉強に切り替えようとしていた。

 「試験があるから、引退して勉強するわ」。正捕手の石川友希君(3年)もその1人。中学の頃から消防士が夢で、公務員試験は9月に迫る。

 自主練習を続けたが、5月になってジムが閉まり、野球場からも追い出された。気持ちがぷつりと切れ、正午ごろに起きる生活。「自己満足じゃないか」と思うようになった。

 決意を告げる石川君に、丹野君は「お前もか」と返信した。自分自身、全員がそろわない野球への情熱が薄らいでいた。

 振り返れば、1年生のときからケガが続いて、全力でプレーできた記憶はそんなに多くない。左肩を脱臼した時の「ゴキッ」という音が頭から離れず、今もフルスイングをためらってしまう。

 休校期間、ケガに悩むスポーツ選手を手助けできるトレーナーになりたいと考えるようになった。将来の目標を見定めてもいた。

 6月27日、梅雨の晴れ間から夏の日差しがのぞいた一日だった。名取市民球場であった「記念試合」には、引退を決めた3年生を含む14人全員が出場していた。

 髪が少し伸びた石川君は、悩んだ末に引退を撤回し、5日前から練習に復帰していた。独自大会への抱負を語るテレビのインタビューを見て、いても立ってもいられなくなった。

 「ミスしてもいいや」と右越え二塁打を放ち、笑顔でダイヤモンドを駆け抜ける。「野球をやり切らないと前に進めない。引退する仲間の分も打つ」と再び燃える。

 ヤジや笑顔が入り交じったグラウンド。最終回、主将を「返上」した丹野君が打席に立つと、ベンチはこの日一番の盛り上がりを見せた。

 スタンドでは母由子さん(52)が見守っていた。守備から戻って来る丹野君の屈託のない笑顔に、野球を始めた小学3年の頃を思い出していた。練習から帰っても夢中で壁当てをし、一緒にキャッチボールをした。「あんな楽しそうな姿は久しぶり」

 丹野君も童心に帰っていた。「最後にホームラン打ったらかっこいいな」と打席に立った。

 2ストライクに追い込まれてからの、全力のスイング。ケガを忘れたかのような力の込めようだった。野球人生10年の最後の一振りは、空を切った。走ってベンチに戻るとき、自然と笑顔がこぼれた。会場は大きな拍手に包まれていた。

 試合後、角監督が近づいてきた。思えばこの高校を選んだのは、「うちでやらないか」と熱心に誘ってくれたからだった。

 「打てねえじゃねえか」

 「練習不足でした」

 「……。よくがんばったな」

 入学して、初めて褒められた言葉だった。(大宮慎次朗)