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 堺市で1860人が死亡したとされる1945年7月の大空襲の直後、不発弾の処理中に亡くなった少年の存在を研究者が確認した。「命の重さに変わりはない」。その氏名は大阪国際平和センター(ピースおおさか、大阪市中央区)の死没者名簿に加えられた。大空襲から10日で75年になる。

拡大する写真・図版爆撃を受けて炎上する堺市。B29戦略爆撃機116機が夜間来襲し焼夷弾などを投下した=1945年7月10日、米軍撮影

 南忠雄さん(当時17)。堺市踞尾(つくの)本町(現在の同市西区津久野町)に住んでいた。水上飛行機のフロート(浮き具)を作る大阪アルミニューム製作所(日本軽金属のグループ会社、エヌティーシーの前身)の工場に父と一緒に勤務していた。

 弟の節雄さん(85)によると…

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