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 奈良時代には、愛知県の三河湾に浮かぶ三つの島からサメやスズキ、タイなどの海産物の加工品が、天皇へ捧げられる「贄(にえ)」として奈良の都まで運ばれていた。近年、奈良文化財研究所(奈文研)が平城宮跡などから出土した100点を超える荷札の木簡を再調査し、三つの島が規則的に毎月交代で天皇に海産物を捧げるシステムが存在した可能性の高いことが分かってきた。こうした木簡の情報に加え、出土した遺構や年輪年代学の成果などを総合的に調べた結果、木簡に記されなかった年代までも明らかになりつつある。

 奈文研の山本崇・上席研究員(日本古代史)が、この春に創刊された論文集『奈文研論叢(ろんそう)』第1号で発表した。

 奈良市の平城宮跡と平城京跡などからは1960年代から、「参河(みかわ)国播豆(はず)(芳豆、芳図)郡」で始まる佐久島(さくしま)(析嶋(さくしま)、愛知県西尾市)、篠島(しのじま)(篠嶋(しのじま)、愛知県南知多町)と日間賀島(ひまかじま)(比莫嶋(ひまかじま)、同)の3島の名前が書かれた贄の荷札木簡116点が出土。「○月料御贄」という共通の文言とともに「須々岐(すずき)」「佐米(さめ)」「鯛(たい)」「赤魚」など魚の名前に続き、「楚割(すわやり)」(細く切って干したもの)などと記されている。

 この木簡群には、①贄を負担す…

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