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 県大会の開幕が約1週間後に迫った7月上旬。佐世保高専(長崎県佐世保市)の選手らは、プレーの感覚を取り戻すのに必死だった。学校の授業が本格再開したのは6月末。チームが全体練習を再開できたのは7月1日だったからだ。

 ほかの選手らが守備や打撃の練習をする中、エースの右腕、松葉孝太郎(3年)はネットに向かっての投球練習をこなしていた。「メニューは自分で考えています」と話す。

 5年制の高専は、一般科目に加え、機械や電気工学など技術者に要求される専門科目を学ぶ。高校野球の大会に出られるのは3年生までだ。

 松葉は昨夏の新チーム発足時からエースを担う。昨年11月、佐世保地区の大会では直球も変化球もさえ、五回を無失点に。年明け、さらに成長する手応えがあった。

 だが2月末、コロナ禍に伴う政府の全国一斉休校要請で、高専も休校となり、全体練習ができなくなった。春の県大会など公式戦も次々となくなった。

 県立高は、再開と再休校を経て5月中旬から授業が、同月下旬から部活がそれぞれ再開した。一方、高専は6月末まで、対面授業も部活も再開できなかった。離島や県外など遠方から生徒が集まるため、遠距離通学や寮生活の生徒も多く、感染防止の観点から、より慎重な判断が強いられたためだ。

 松葉は休校になってからほぼ毎日、走り込みを続けていたが、不安は膨らんでいた。5月上旬、夏の全国選手権大会中止が一部で報じられると、一気に気持ちが切れた。走り込みは週1、2日まで減り、野球のことを考えたり動画を見たりすることもやめた。「とにかく野球から離れたかった」。野球を始めて10年で初めてのことだ。

 県高野連は5月、独自の県大会の開催を打ち出したが、高専の出場はなかなか決まらなかった。学校の方針で、対外試合が可能になるのは7月中旬以降。県高野連が2回戦からの出場で調整することで、6月19日の抽選会の1週間前、出場の道筋がついた。

 監督の福田匠(22)はその日のうちに、出場を選手らにラインで伝えた。だが、松葉から福田宛ての返信は「出たくない」だった。準備期間が2週間しかなく、けがを恐れたからだ。万全の状態で投げられないのも、悔いが残ると思った。3年生5人全員にもラインでそう伝えた。

 小学校から9年間、共に野球を続けてきた七種(さいくさ)悠(3年)は、松葉の言葉に「あの野球好きがどうして」と驚き、「俺は出たい」とすぐ返信した。松葉はその後1週間、出るか、出ないか悩んだ。

 頭に浮かんだのは、3年間練習を乗り越えてきた仲間の顔だった。「投げられるのは俺しかいない」。エースの意思は固まった。6月末の授業再開直前、七種は松葉に電話を入れた。「県大会、頑張ろうな」。言葉を交わし、県大会に向け気持ちを一つにした。

 なぜ野球を続けるの――。記者の問いに、松葉は「1球1球の勝負を試合のマウンドで味わいたくて」と静かに答えてくれた。=敬称略