4校連合、うち2校は甲子園出場校 伝統どう引き継ぐか

小俣勇貴
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 7月上旬、雨上がりのグラウンドの片隅に、選手の輪ができていた。市川(山梨)の主将、田中悠介(3年)が口を開いた。「無死一塁なら監督がいなくても送りバント。これが市川の野球。全員で価値観をそろえるのは無理だけど、近づけることはできる」

 輪にいた増穂(ますほ)商の望月優一(同)は田中を黙ってみつめ、峡南(きょうなん)の滝沢翔哉(同)は、うなずくばかりだった。

 市川・峡南・増穂商と青洲(せいしゅう)の4校は今夏、連合チームとして山梨の独自大会に臨む。この日は選手たちにとって約2週間ぶりの合同練習。4校がそろったのは、2回目だった。

 1991年の第63回選抜大会で初出場ながら4強入りして「ミラクル市川」と呼ばれた古豪と、春夏1回ずつ甲子園に出場した峡南、県内では野球熱の高い地域に根付く増穂商。この県南西部にある3校を統合して今年4月に青洲を新設することが正式に決まったのは、4年前のことだ。

 昨夏まで3校は単独や他の連合チームで活動していたが、新チームから連合を組むことに。昨秋の県大会は1回戦で山梨学院に0―16でコールド負け。冬場は市川のグラウンドに他の2校の部員が通って練習を続けた。4月には、1年生だけの青洲も連合に加わった。

 統廃合が伴うと、部員数に余剰があっても連合チームを組むことができる。市川のOBで連合チームを率いる佐野大輔監督は「新設校の青洲は人数的に単独でも大会に出られた。ただ、三つの学校にはしっかりとした伝統がある。それを青洲に引き継いでもらいたかった」と話す。

 とはいえ、練習は思うに任せない。コロナ禍で3月上旬から約3カ月は合同練習はできなかった。その間、市川の一瀬凱生(よしき)(3年)は悩んでいた。「市川の野球部が大事にしてきた礼儀や高校野球らしさは青洲の1年生に伝えようとしているけど、峡南と増穂商の2人が何を伝えたいのか、まだ聞けていないんです」

 2週間ぶりの再会。話し合いの中で、滝沢と望月は口には出さなかったが、記者に胸の内を打ち明けてくれた。滝沢は、峡南でたった1人の部員。高校野球で学校名が残るのは、この夏が最後だ。「先輩から『助けてあげれば、次には助けてもらえる』とカバーの大切さを教わってきた。峡南最後の部員として、その伝統は青洲の後輩に残したい」。増穂商の望月は、遠慮があるのか、小さな声で言った。「峡南、市川だけじゃなくて、増穂商もいて今年のチームの強さなんだと示したい」。

 大会の初戦は23日。伝統とプライド。培ってきた思いを仲間に、そして後輩に伝えたいと思っている。(小俣勇貴)

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