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 「70年万博とは何だったのか」。あれからちょうど半世紀、そして5年後に二度目の大阪万博を控えた今夏、「アート」と「民芸」を軸にEXPO’70を考える二つの展覧会が開かれている。

拡大する写真・図版「なんやこりゃEXPO’70 ―大阪万博の記憶とアート」展の展示風景。具体美術協会のパフォーマンス写真や映像、資料が紹介されている=2020年7月、大阪府豊中市待兼山町

 大阪大学総合学術博物館(大阪府豊中市)の「なんやこりゃEXPO’70―大阪万博の記憶とアート」展。戦後復興の頂点を飾った巨大な祭典をめぐる葛藤や戦略、一つの文脈では捉え切れない歴史の複雑さを、豊富な一次資料をもとに問い直す。

拡大する写真・図版せんい館のロビーに置かれた四谷シモンの人形。フロックコートと山高帽の男はマグリットのモチーフを思わせる=個人蔵

 豪華な企業パビリオンが林立した70年万博は「映像と音響の博覧会」とも呼ばれ、美術や音楽など分野を超えて多くの前衛アーティストが参加した。代表的な企業館の一つ「せんい館」ロビーには、人形作家・四谷シモンのマグリット風の人形が15体並び、山高帽からレーザービームを照射。建築を手がけた横尾忠則は、スロープ状の屋根から「赤い男根のようなドーム」を突き出させ、その周囲に工事用足場と作業服姿の人形を配して未完成の美を表した。

拡大する写真・図版横尾忠則「せんい館」ポスター=個人蔵、大阪大学総合学術博物館提供

 一方で、横尾は「このパビリオンを芝居の書割(かきわ)りか張りぼてのようなものにしたかった」と自伝につづり、権力側・体制側にくみするような万博の仕事への後ろめたさを示している。夜景に赤いせんい館が浮かぶポスターは不吉な印象を与え、上空に世界中の旅客機が飛ぶデザインを、三島由紀夫は「空襲の夜を想(おも)い出す」と評価したという。

 ベトナム反戦運動や安保闘争が…

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