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 千葉県船橋市の船橋東グラウンド。この2年あまり、バックネット裏の最前列の椅子は、ある男性の指定席だ。

 休日の練習試合はほぼすべて、平日の練習にも時々姿を見せる。いつも前かがみで腕組みし、「頑張れ」とも言わずにじっと笑顔で選手を見守る。部員たちは横目で「またいる」と思いつつ、口には出さない。その男性が筋骨隆々で、ちょっと怖いからだ。

 大手百貨店員の井上謙一さん(49)。船橋東3年で、それぞれエースと4番に成長した双子の父親でもある。

 一卵性の双子で、兄の洋輔君(17)と弟の航輔君(17)が生まれたのは2002年のクリスマスイブだった。妻の実家近くの松山市の産婦人科。予定日より約1カ月早く、帝王切開で生まれたが、2815グラムと2200グラムあった。謙一さんの筋肉質な体を受け継ぎ、2人は今、洋輔君が178センチ88キロ、航輔君が174センチ88キロの体に育った。

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 謙一さんにとって、息子2人が高校野球をするのは特別な思いがある。

 謙一さんは大阪府八尾市出身。小学2年でリトルリーグに入った。中学でも野球を続けたかったが、何事も厳格な父親に言われた。「野球でメシ食っていけねえだろ」。チームの同級生には後にプロ野球・日本ハムで活躍する岩本勉さんらがいて、自分とのレベルの違いは知っていた。中高は部活動をあきらめ、勉強に集中した。

 その後も、厳しい父親に反抗した覚えはない。しかし、上宮高校(大阪市)在学中、同級生だった元木大介さん(現プロ野球・巨人ヘッドコーチ)の甲子園での活躍を、アルプス席から応援した時はただうらやましかった。

 謙一さんは、自身の父親とは違い、2人の息子とは「友達のように」接してきた。小学1年のころ、3人それぞれの自転車で、市川市の自宅から建設途中のスカイツリー(東京都墨田区)まで往復約20キロ走ったこともある。

 2人が小学5年のころ、突然地元の野球チームに入りたいと言い出した。練習に連れて行き、頼まれてもいないのに、2人のグラブの手入れをしたのが裏方役の始まりだった。

 中学に入ると、見違えるほど体が大きくなった。自宅でも素振りや筋トレを始め、バットの出し方や手首の角度など、謙一さんが知らない技術の話をすることも増えた。2人とも中学3年生で市の選抜にも選ばれた。

 高校も船橋東にそろって合格。「親子3人、一緒に甲子園に行こう」。そう約束した。バックネット裏が謙一さんの定位置になったのはそれからだ。どんな練習試合の会場でも、すぐ行けるよう中型バイクの免許も取った。「2人いるので、見る場面も2倍、楽しみも2倍だった」

 勝ち気な兄の洋輔君は2年の夏、3試合に登板し、エースへの道を歩み始めた。冷静な弟の航輔君は2年の夏はブルペン捕手で1試合も出なかったが、毎朝、誰より早くグラウンドに行った。素振り100回などを通し、新チームで主砲に定着した。

 2人は高校野球を通し、整理整頓もあいさつもできる球児に育った。

 だが、新型コロナウイルスの影響がこの家族にも異変をもたらす。3月に学校が休校になり、5月には甲子園中止が決定。6月初め、2人が通う大手進学塾の面談で、航輔君の授業の欠席が増えていることを聞かされた。

 「真面目な航輔がなぜ」――。謙一さんは初めて、航輔君を問いただした。

 「ちょっと座れ」

 「なんだよ」

 「勉強も野球も一生懸命やるって約束、どうしたんだ」

 うつむいたまま言い返してこない。やがて肩を震わせおえつを漏らした。「今年はお父さんに活躍を見て欲しかった。なのに甲子園が……」。かける言葉が見つからなかった。

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 7月9日、市川市の謙一さん宅。テーブルには妻のもえみさん(46)が作った料理が並んでいた。ホットプレートにはチーズ入りギョーザが約40個。隣の大皿には焼きギョーザが20個。ポテトサラダは山盛りだ。それに毎日、1日分で白米7対玄米3の割合で作った米が1升ある。

 父子3人は8月2日開幕の県独自大会に照準を合わせていた。自宅近くを約4キロ走り、20段の階段を兄が弟を、弟が兄をおぶってそれぞれ10回駆け上がる。謙一さんも2人の自主練習に付き合い、「まだやれるだろ!」と叱咤(しった)する。

 甲子園は無い。それでも息子2人は独自大会に全力で挑む。父として、全力で応援するつもりだ。(福冨旅史)