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 岩手県釜石市を襲った1回目の艦砲射撃から一夜明けた1945年7月15日。陸前高田市は米軍艦載機の空襲を受け、1人が犠牲になった。75年前、自宅裏の防空壕(ごう)に身を潜めていた当時8歳の男性は「こんな田舎でも戦争はあった」と振り返る。

 暑い日だった。カンカンカン――。空襲警報の半鐘が鳴り響くと、陸前高田市の山間部で暮らす菅野進さん(83)は、弟と一緒に自宅裏の防空壕に逃げるよう、母に促された。

 「何だろう?」。時折、壕から顔を出して上空を眺めると、10機ほどの濃い緑色のプロペラ機が、真っ青な空で轟音(ごうおん)を響かせていた。「パイロットの顔が見えるほど低い地点だな」。出たり入ったりしていると、母から「あれは敵の飛行機だ」としかられた。

 陸前高田市史によると、市内で…

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