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 1970年代に目撃が相次いだ、謎の類人猿「ヒバゴン」。広島県北部の山あいの町に全国から報道陣が押し寄せ、フィーバーに沸いた。あれから半世紀、「ヒバゴンの町」の人たちに会いに行った。(東谷晃平)

 高度経済成長期まっただ中の1970年7月20日夜、ヒバゴンは姿を現した。西城町(現・庄原市西城町)の山道を軽トラックで走っていた男性が、山に入って行く謎の生物を見たのが最初の目撃情報だ。

 その後も目撃が相次ぎ、マスコミが町に殺到した。ヒバゴンの名は全国へ広まっていく。

 当時、キャンプ場などを含むレクリエーション施設「ひろしま県民の森」の工事が進められていた。「比婆山の神のたたりじゃ」と言う住民もいたという。

 西城町に住む藤川聖弘さん(56)は当時、地元・油木小学校の1年生。騒ぎの中、集団下校をした記憶がある。ヒバゴンを捜す大人たちに「この辺に穴はないか」と尋ねられ、非日常感を味わった。正体は約90キロ離れた安佐動物公園(広島市)から逃げ出したゴリラではないかとのうわさも聞いた。「怖い怖いと言いながらも、面白がっとった。いい思い出じゃね」

目撃者に破格の「迷惑料」

 西城町役場の職員だった恵木(えぎ)剋行さん(76)は、ヒバゴン目撃が中国新聞に報じられた70年8月、突然町長室に呼ばれた。「新聞に載ったのはええんじゃけど……」。マスコミが目撃者に押しかけ、日常生活に支障が出ると悲鳴が上がっていた。役場は急きょ「類人猿相談係」を置くことにした。任命されたのが恵木さんだ。

 目撃者から聞き取りをし、町を訪れるマスコミや大学の探検部員らの対応をした。直前の担当は税務係。全くの畑違いだったが、楽しかったという。「何でも屋みたいなもん。今考えても、こんな仕事は二度とできん」

 山に囲まれた西城町の一部は当時、テレビが映らなかった。恵木さんも高校卒業までテレビを見たことがなかった。役場に勤めて最初の仕事は、山にアンテナを設置することだった。町にテレビは一気に普及した。「近所のあの人が映っとった」。町民もテレビに釘付けになり、フィーバーに拍車をかけた。

 町は目撃者に「迷惑料」として5千円を支払った。恵木さんによると当時の町役場の初任給は1万4900円だったというから、破格の金額だ。目撃情報を疑う声もあったが、目撃者の中には恵木さんの古くからの知り合いもいたという。「うそを言うような人では決してない」と言い切る。

 29件に上った目撃情報は、74年10月を最後にパタリと途絶えた。町は75年6月、「ヒバゴン騒動終息宣言」を出した。

ヒバゴンは町の誇り

 ヒバゴンがいたらどんな言葉をかけたいか。恵木さんに聞いてみた。「ヒバゴンは町の象徴。わしは孫6人に恵まれた。ヒバゴンも山奥で孫に囲まれて静かに暮らしとるんじゃないか」

 ガソリンスタンド、バス、土産物屋――。庄原市西城町では、今もあちこちでヒバゴンのキャラクターに会うことができる。

 「若い人は存在すら知らないかもしれません。でも、西城町は『ヒバゴンの町』なんです」。西城町観光協会の山口和男会長(49)は語る。西城町出身。高校、大学時代は広島市内に下宿した。「フィーバー」は生まれる前のことだが、ふるさとにヒバゴンがいることが誇らしかった。

 庄原市西城町の今年6月末の人口は3262人。20年前から35%減った。町観光協会や庄原市はヒバゴンを町おこしの起爆剤にしようと50周年の企画を温めてきた。

 だが、企画を検討していた目撃地点をめぐるツアーは新型コロナウイルスの影響で延期に。今は、元・類人猿相談係の恵木さんと一緒に目撃地点や観光スポットをめぐるオンラインのツアーを準備している。当時の新聞記事や目撃者のインタビューをまとめた50周年記念誌の発刊と合わせ、秋ごろに公開する予定だ。

     ◇

 〈ヒバゴン〉 1970年代、西城町(現・庄原市西城町)を中心に目撃が相次いだ未確認生物。身長約1・6メートルで、逆三角形の顔とゴリラに似た体つきが特徴だが、実態が不明のまま目撃は途絶えた。騒動を題材に作家の重松清さんが小説「いとしのヒナゴン」を書き、映画化もされた。