心の中で叫んだ「コノヤロー」 元看護婦、空襲の記憶

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佐々木康之
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 日本海軍の拠点だった神奈川県横須賀市に対する最大規模の空襲から、18日で75年が経った。攻撃は軍港に集中し、死者は軍民合わせて60人ほど。横浜や川崎の大空襲と比べて戦禍の記憶はわずかだ。その日、何があったのか。当時の記録をたどりながら、体験者の一人に話を聞いた。

 1945年7月18日。日本赤十字社の救護看護婦だった村野宏子(94、旧姓竹中)は、横須賀海軍病院にいた。同僚の石井はつが腎臓を患い、婦長の指示で泊まり込みで看護していた。共に東京・広尾の日赤看護婦養成所で学び、この年の春、やはり横須賀市にあった野比(のび)海軍病院へ派遣されていた。

 昼ごろだったか。時刻は覚えていない。石井のそばにいるうち、翼が風を切る音がした。

 「キューンと飛行機が急降下する音。とっさに石井の上へかぶさりました」

 バーンと響いて病舎が揺れ…

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