拡大する写真・図版埼玉県戸田市にある幅90メートル、長さ2.5キロの漕艇場。“1940年の東京五輪”のために建設された数少ない競技施設だ=2020年7月5日、埼玉県戸田市、川村直子撮影

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 いったん招致に成功した東京五輪を、開催国の日本が自ら返上した――そんな歴史がありました。1940年の「幻の東京五輪」です。新型コロナウイルスに揺れる東京五輪。80年前の痕跡を作家・高橋源一郎さんが訪ねました。寄稿を掲載します。

日本と五輪、縁は深いのか薄いのか

 東京はオリンピックと縁が深い。3度、開催地に決まり、1度目は返上、3度目は延期。だとするなら、ほんとうは「縁が薄い」というべきなのかもしれないが。

 1度目は、戦前の1940年。アジア初のオリンピックとして、1936年に招致に成功。だが1938年には自らの手で返上することになった。その1度目のオリンピックのためにつくられた数少ない競技施設、埼玉県戸田の漕艇(そうてい)場まで行ってみた。雨の中、ときおり、学生が漕(こ)ぐボートが目の前に現れた。「新型コロナ」流行のため、ボート競技もいまはお休みだ。80年前になにがあったのか、知っている者は、ほとんどいない。実は、わたしもだったのだが。

初の五輪開催、熱狂の向こうに醒めた目も 1964年

  わたしは、長い間、オリンピックを観(み)たことがない。興味がないからだ。ただ、過去に一度だけ熱中してオリンピックを観た。1964年の東京オリンピックだ。異様なほどの盛り上がりがあったことだけは覚えている。わたしは、ずっとテレビにかじりついていた中学生だったが、なぜそんなに熱中していたのか、わたしを含め、当時の日本人たちに訊(き)いてみたい気がする。もちろん、中には、その狂騒を醒(さ)めた目で見つめていた人たちもいた。華やかなオリンピックの向こうに暗い「戦争」の記憶を思い出す国民も、まだたくさんいたのだ。

 作家の杉本苑子は、開会式に触れながら、こう書いている。

 「二十年前のやはり十月、同じ…

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