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 土佐湾に臨む高知県立春野球場(高知市)のスタンドに、強い日差しが当たる。額に汗を浮かべながら、土佐高3年の池中岳斗(たけと)(18)はグラウンドを見つめていた。19日、県独自大会の初戦だ。

 通い慣れた球場。仲間はユニホームで走り、自分は髪が伸び、制服でここにいる。何だか新鮮な気分だ。

   ◇

 5月下旬の日曜日。午前中の練習を終え、池中は寮でひとり、ベッドに寝転がっていた。同部屋の1年生は部屋にいなかった。

 椅子に座り直した。スマホを手に取った。

 「野球部、辞めようと思ってる」

 「何のために高知に行ったんや」「最後までがんばれや」

 父の嘉実(よしみ)(53)の声が耳に響いた。うん、うん、と繰り返す相づちが、次第に涙声に変わった。

 父は少し黙り、こらえきれないように言った。

 「悔しいよな」

 「うん」

 小さく答え、それ以上声が出なかった。2人、声を上げて泣いた。

 「どんな答えでも応援するし協力する。自分の気持ちに正直になって岳斗がしたいようにしたらいい」

 父の言葉が耳に残った。

 誰もいない寮の屋上に行った。いつもの景色が、涙でにじんだ。

   ◇

 全国高校野球選手権大会の中止が決まったのは4日前だった。

 「どうする?」。寮や学校で仲間に顔を合わせるたび、池中は尋ねた。「引退するわ」「モチベーションが」。みな揺れていた。

 兄の影響で小学4年でソフトボールを始めた時から、甲子園は目標だった。大阪府和泉市の実家から、父に連れられて行った。照りつける日差しのなか、三振一つに球場全体からわき上がる歓声。マウンドにいる自分の姿を思い描いた。

 そこに立つために、春夏12回の出場経験があり、文武両道の土佐高に進んだ。

 「160キロ」。1年のとき、あこがれの大谷翔平投手にならって目標達成シートに書いた。到達できれば甲子園に近づけると思った。新調した投手用グラブに、「負けん気」と刺繍(ししゅう)を入れた。フォームを崩してメンバー落ちした2年のとき、消灯時間までひとり投げ込んだ。嘉実は片道4時間、車を運転して来て、練習試合のフォームを撮影してくれた。

 その甲子園が、なくなった。

 「高知県で代わりの大会があるらしい」とも聞いた。だけど、気持ちは一度切れていた。「目指してきたものがなくなった。ここで終わりにして、受験に切り替えるしかない」

 3年生18人のうち、池中を含めた14人が独自大会を待たずに引退を決めた。

 2週間後、6月初旬の日曜日。18人全員がグラウンドに顔をそろえた。最後の紅白戦。投球練習中、ネット越しに嘉実から声をかけられた。「今日は直球だけやろ」。直球にこだわってきた2年半。その通りだと思った。五回から登板し、直球を投げた。打たれても全34球、直球だった。

 試合後、みんなで本塁上に並んだ。校歌斉唱。笑顔で歌えた。

 希望する大学に入り、そこでまた野球することを新たな目標にしよう。そう思った。

   ◇

 引退後も、昼休みには食堂の入り口近くの長机に足が向かう。野球部仲間の入学時からの定位置だ。小テストのこと、プロ野球のこと。話題も変わらない。

 机には引退した仲間も、続けている仲間もいる。今も主将の滝田海星(かいせい)(17)は「引退した思いも分かるけど、僕は最後までやりきるのが憧れだった」と言う。

 引退すると寮を出る決まりで、池中は6月からアパートで一人暮らしを始めた。毎日午後9時まで塾で、帰宅後も机に向かう。がらんとした1Kの部屋。野球道具は嘉実に実家に持ち帰ってもらったが、グラブだけは手放せず、ベッドの下に置いている。ふとした時に、壁に貼ったユニホームの18人の写真に目が行く。

 仲間が勝った初戦を見て、自分も投げたいと思った。2回戦がある24日、池中は模試を受けるため、見には行かない。

 将来、この決断が正しかったと思えるように、今を頑張りたい。自分で決めたことだから。

     ◇

 新型コロナウイルス感染拡大の影響で5月20日、第102回全国高校野球選手権大会と代表49校を決める地方大会の中止が決まった。全国大会中止は1941年以来。42~45年は太平洋戦争で中断した。

 今年は全都道府県で代替の独自大会を開催。体調面を考慮して7イニング制とする県や、日程の都合で8強までで終わる県もある。3年生の一部が独自大会前に引退する強豪校や、休校による準備不足を理由に大会を辞退した学校もある。(坂東慎一郎)