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 多くの壁にぶつかった。そのたびに、どんなに野球が好きか、気付かされた。

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 富山・高岡商3年の中村領(かなめ)さん(17)は野球好きな父と母、2人の兄に囲まれて育った。物心ついた頃には白球を握り、兄や友達と野球に明け暮れた。ヒットを打った時の感覚が何より心地良かった。

 中学では迷わず野球部。でも、入部直後に異変を感じた。ランニング中、たびたび胸が苦しくなった。春の健康診断の後、すぐ病院へ行くよう言われた。

 肥大型心筋症。心臓の壁が厚く硬くなる難病だった。医者は「スポーツはもうできません」。2015年6月10日のことだ。「一生忘れません。一度人生が終わった日ですから」

 帰宅しても放心状態。頰を伝う涙にも気がつかなかった。五つ上の次兄翔(かける)さんが声をかけた。「好きなら続けたらいいんだよ。マネジャーとして」

 中学にマネジャーはいなかった。高校生の翔さんの試合に行き、マネジャーの動きに目をこらした。中学では試合中、監督の横に座り、指示の出し方を学んだ。「捕手のリードや選手交代のタイミング。野球は考えるスポーツなのか」。奥深さに触れた。

 その夏、家族で甲子園に行った。たまたま見た試合で、強豪の関東第一に公立校の高岡商が立ち向かい、壮絶な打撃戦を演じていた。8点差でもあきらめず、一時同点に。かっこよかった。「ここに行こう」と決めた。

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 高岡商はマネジャーの代わりに、監督と選手のパイプ役の「主務」を置いている。仕事は多岐にわたる。練習に必要な道具や機材をそろえ、メニューごとの時間を管理。ロッカーの整理など部員の生活面もただす。試合中はスコアをつけ、逐一指示も出す。1年の中村さんは主務を支える副務になった。

 入学に前後して、高岡商は一時代を築き始めていた。17年、県内で31年ぶりの春夏連続甲子園出場。18、19年は夏の甲子園で2勝を挙げ、優勝した大阪勢に惜しくも敗れた。副務の中村さんはいずれもアルプススタンドから応援。昨夏、甲子園から戻った翌日のミーティングで立候補し、念願の主務になった。

 昨秋の県大会でもチームは順調に決勝へ。だが初優勝がかかる相手に九回2アウトから四球や失策で逆転負け。ベンチで「詰めが甘い」と感じた。嫌われ者に徹すると決めた。

 全力疾走を徹底させた。グラウンド整備は10分以内で完璧に終わらせるようにした。ストップウォッチ片手に声を出し続けていると、部員の目つきが変わっていった。吉田真監督(37)は「厳しいことを言えない子だったが主務らしくなった」と感じた。

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 確かな手応えで迎えた今春。新型コロナ禍が襲った。春の県大会は中止。休校となり部活動もできなくなった。病は野球との関わりを変えればよかったが、今度は違う。無力感に襲われた。

 独りの時間。家の前の壁に硬球を投げたり、海釣りをしたり。「みんなでグラウンドに立ちたい」という思いがわき上がった。

 6月、学校と部活が再開。そして、県独自のトーナメント大会の開催が決まった。多忙な、幸せな日々が戻ってきた。再び全力で取り組み、体重は1カ月で4キロ落ちた。

 残りわずかの野球漬けの高校生活を振り返る。コロナがあって、野球がどれだけ大きな存在か、改めて気付かされた。その野球を存分にできる理由もだ。

 中村さんは石川県七尾市生まれ。難病を抱えながら高岡商に進みたいという三男に、両親は「好きなことを追求しなさい」とこたえた。母の明美さん(53)が一緒に高岡市内に引っ越してくれた。コロナで家にいた時間に手伝いをして、仕事をしながらの弁当作り、洗濯、皿洗いがいかに大変か、身にしみて分かった。

 開幕まであと1日。自分を成長させてくれた野球と家族への感謝を胸に、最後の大会に臨む。(田島知樹)