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 発表から約半世紀を経た今も読み継がれる、司馬遼太郎氏(1923~96)の代表作『坂の上の雲』(1972年刊)。松山出身の軍人秋山兄弟と俳人正岡子規を軸に、日露戦争とその時代を描いた作品は、小説の枠を超えて日本人の歴史観に強い影響を与えてきた。しかし、司馬氏はこの作品以降、太平洋戦争に至るまでの時期を歴史小説として書くことはなかった。それはなぜなのか。社会学者の大澤真幸さんに、「我々の死者」という言葉をキーワードに、読み解いてもらった。

拡大する写真・図版おおさわ・まさち 1958年長野県生まれ。千葉大文学部助教授、京都大大学院人間・環境学研究科教授を歴任。著書『社会学史』『ナショナリズムの由来』など多数。

我々の死者を取り戻す

 ――『坂の上の雲』をはじめとする司馬遼太郎氏の歴史小説を、大澤さんはどう読みますか。

 「司馬氏が歴史作家として本当にやろうとしたことを、僕の言葉で言うと『我々の死者を取り戻す』ということだったと思います」

 「これはナショナリズムや愛国心とも絡んでくることなのですが、人間が『世の中のためによいことをしたい。公共的なことをしたい』と心の底から思うためには、『我々の死者』を持つことが必要です。『我々』、つまり自分たちの共同体のために生き、死んでくれた人々が過去にいて、僕らはその人たちのおかげで今、生きている。僕らは彼らからのバトンを受け、よりよい社会をつくっていく――。そんな確信があって初めて、私たちはこの世界に自分の居場所を得て、社会のため、他人のために生きていくことができます」

 ――自分たちの先人としっかりしたつながりを持つことで、現在を生きる私たちのアイデンティティーが確立する、ということでしょうか。

 「その通りです。しかし、私たち日本人は太平洋戦争の敗戦で、『我々の死者』を失ってしまった。『先に死んでいった人々のおかげで、今の私たちがある』と言うよりも、『その人たちのやってきたことを否定する』という形で戦後の歴史は始まったわけですから」

断念したノモンハン事件の小説化

 「戦後の日本は、そこが大きな弱点になっている。『我々の死者』がいないと、『現在の我々とは何か』ということがあいまいになり、『我々にとって何がよいことなのか』という判断も難しくなってしまうのです」

拡大する写真・図版 1939年、満州国とモンゴルとの国境をめぐり、日本とソ連(現:ロシア)との大規模な武力紛争が起きた。「ノモンハン事件」と呼ばれるこの戦いで、日本は機械化が進んだソ連軍に精神主義で立ち向かい、惨敗を喫した。写真は擬装網の下からソ連軍の様子を監視する日本兵

 ――司馬氏自身、戦争中の1943年に学徒動員で戦車兵になり、本土決戦の準備中に敗戦を迎えた。その時に「なんとくだらない戦争をしてきたのか」「いったいなんでこんなことになってしまったのか」という非常に強い問題意識を抱き、それが日本史への関心につながった、と述べています。

 「司馬氏の『愚かな戦争をしたが、日本人の歴史すべてが悪かったわけではない。我々の死者として受け継ぐに足る人々がいたはずだ』という強い思いが、戦国時代から幕末・明治維新へと連なる幾多の歴史小説として結実した。その頂点に位置し、現代に最も近い時代を舞台としたのが『坂の上の雲』でした」

 「しかし、『我々の死者の物語…

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