【動画】記者の質問に対して筆談で回答する、被爆者の中本雅子さん=上田幸一撮影
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 もう自由に話すことはできない。体を動かすこともできない。それでもふるえる右手でペンを持ち、ゆっくりと書き始めた。

拡大する写真・図版記者の質問に答えるため、中本雅子さんは右手でペンを受け取った=2020年7月17日、広島市西区、上田幸一撮影

 「2度と」

 繰り返さないで――。そう書こうとしたのだろう。だが3文字書いて力尽きたのか、頭を枕に沈めた。

 被爆者の中本雅子さんは97歳。1月に脳梗塞(こうそく)で倒れ、左半身にまひが残った。広島市西区の自宅で、夫の康雄さん(93)に見守られながら、ベッドに横たわって一日を過ごす。核兵器廃絶への訴えを聞きたいという記者の取材に応じてくれたのは、そんな時だ。

拡大する写真・図版記者の質問に答えるため、中本雅子さんはペンを持ち、夫の康雄さん(左)に支えてもらって文字を書き込んだ=2020年7月17日、広島市西区、上田幸一撮影

 1945年8月6日。軍服や軍靴を製造する陸軍の「被服支廠(ししょう)」で仕事中、2・7キロ先で原爆が炸裂(さくれつ)。建物は負傷者らの救護所となる。汗、ほこり、排泄(はいせつ)物のにおい。そしてうめき声……。遺体は次々外へ運び出されていく。「にんげんをかえせ」と訴えた原爆詩人、峠三吉はここで目にした惨状を、詩「倉庫の記録」として残した。

 目の前で奪われた多くの命。そ…

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