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 6月中旬、気温は30度を超えていた。10人の球児の首筋に汗がにじむ。喜界高(鹿児島県喜界町)の主将、牧口博(17)は試合開始前の列に並びながら思った。「試合ができるんだ」

 ホームベースの向こうに立つのは、町在住の野球部OBら約15人。役場職員、サトウキビ農家、消防士。それぞれ別々の草野球のユニホームに身を包む。

 喜界高は、鹿児島市から約380キロ南に浮かぶ喜界島にある。人口約6900人。中学校と高校は1校ずつ。練習試合をするには海を渡る必要がある。現役チームのため、夏の大会前にOBが試合の相手をするのは恒例行事だ。

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 牧口は中学から野球を始めた。同級生の多くは甲子園を目指して島外の強豪校に進んだが、牧口は残った。部員は昨秋の新チームから5人に。練習メニューはノックとティー打撃くらいだった。

 秋の大会は他の島のチームと連合を組み、5回コールド負け。チームメートは初対面だった。主将になり、春に1年生が入ってきて単独でチームを作れた。「やっと喜界として試合ができる」と思った。

 甲子園大会の中止が決まった日。監督から知らされた時、みんな静かだった。牧口らの代は公式戦で勝った経験がない。手が届く存在だとは思っていなかったが、それでも牧口はショックだった。「甲子園につながる大会がなくなったんだ」

 翌日。牧口がグラウンドに行くと、みんなの姿が変わらずにあった。「甲子園がなくても、自分たちで野球やれるだけでいい」

 監督からは、代わりの大会があるかもしれないと聞かされていた。独自大会の開催が正式に決まると、部員全員で交換する日誌に「うまくなりたい」といった言葉が並んだ。

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 支えるOBたちも「甲子園」を思ってきた。

 農家で町議も務める野間弘也(38)は高校生のとき、プロ野球選手になるという夢があった。「甲子園は遠いところじゃない」。当時の監督は何度も言った。1年間365日、練習をしない日はなかった。

 1年の夏、チームは鹿児島大会を勝ち上がった。初の8強入りを果たした試合では、ラジオ中継が校内放送で流され、点が入ると学校中がわいた。野間の同級生で町職員の夏目淳一(37)は、姉から後にそう聞かされた。

 2人とも「人数は少なくてもやれる」と思った。3年の夏も16強入りしたが、甲子園には届かなかった。

 2人を含め20年前に甲子園を目指した世代は、進学などで島を離れても、半数以上が島に戻ってきた。野間は「歯を食いしばって甲子園を目指した高校3年間があったから、その後の人生でつらいことを乗り越えてこられた」と言う。

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 7月8日、徳之島。独自大会の初戦で、喜界は選手層の厚い徳之島と対戦した。「1点ずつ1点ずつ」「リラックス、笑おう」。牧口は笑顔を貫いた。

 OBの広(ひろし)清太(49)はネット裏で見守った。試合の状況をLINEで他のOBたちに報告した。グラウンドの草刈りを手伝い、練習試合の審判もしてきた。自分の時と変わらぬブルーのユニホームが躍動するのがうれしかった。

 試合は負けた。泣いている後輩を見て、牧口の笑顔も泣き顔に変わった。2度、1点差まで詰め寄った。コールド負け続きだったけど、今日は9回まで戦った。誇りに思おう。

 卒業後は関東の大学への進学を目指す。その先はいつか島に帰ってきて、野球部の後輩を支える。そう思い描いている。=敬称略(坂東慎一郎)

昨年の連合チーム、過去最多の86に

 全国高校野球選手権大会は全国大会と地方大会で構成される。昨年の第101回大会は47都道府県で3730チームが参加し、49代表を目指した。部員不足(8人以下)の学校による連合チーム数は過去最多の86(234校)だった。

 第102回大会の中止を受けて、全国の都道府県高野連は代わりとなる独自大会を開催。全都道府県で開かれる予定で、朝日新聞の集計では3597チームが参加する。