韓国代表でオリンピック出場の長州力、革命戦士の本音

ワールドアスリート

関根和弘
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 近代五輪史上初めて延期された東京オリンピックまであと1年を切った。およそ半世紀前、その夢の舞台に立った1人の元プロレスラーがいる。現役時代、「革命戦士」と呼ばれた長州力=本名・吉田光雄=さん(68)だ。ミュンヘンオリンピックのレスリングに出場したが、日本選手としてではなく、韓国代表としてだった。在日2世として生まれ育った長州さんにとってオリンピックとは何だったのか。本人に聞いた。

 長州さんは山口県徳山市(現・周南市)の出身。朝鮮半島出身の両親のもと、在日韓国人2世として生まれ育った。体力に自信があった長州さんは中学で柔道部に所属。このころ開かれた東京オリンピック(1964年)で、日本人選手が活躍する姿に感動し、自らも夢の舞台にあこがれるようになった。

 高校からレスリングに転向し、強豪の専修大に進学。3年生の時、ミュンヘンオリンピックを迎えた。長州さんはすでに全日本学生選手権で優勝するなどの実績を出していたが、日本国籍がないことから日本代表にはなれなかった。

 それでも夢をあきらめきれず、「たとえ日本代表じゃなくても、どの国でもいい」と、韓国の選考会に急きょ出場、代表の座をつかんだ。

 本番ではフリースタイル90キロ級で出場したが、メダルに手は届かなかった。「メダルを取る人は、僕たちよりもまだ何段階も上の練習をやっている。立てた目標に対してはたどり着けたっていう思い」と振り返る。

 長州さんは取材に対し、プロレス時代についても振り返った。大学卒業後、アントニオ猪木さん率いる新日本プロレスに入った。アマとプロの違いについて、「練習の厳しさで言ったら断然プロ。お客さんに見てもらってもうけるわけだから、体を作るにもストイックさが求められる」と話した。

 その上で、長州さんは「プロレスは表現」と言い、アントニオ猪木さんについて「本当にすごい人。リングの中で戦っているように見えるでしょう」と評価した。

 長州さんは19年に現役を引退、それに先立ち、2016年に日本国籍を取得した。「まあ、帰化は終わってるんだけど、そもそも日本に生まれて、日本の教育を受けて、日本の道徳で育ってきて。じゃあ俺、何人になるの?って。もう日本人でしょって」(関根和弘)

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