歴史を動かしたノモンハン事件 第2次大戦の「起点」に
東アジア、モンゴル東部に広がる草原。かつてそこで日本軍が旧ソ連の機械化部隊と衝突し、壊滅的な被害を受けた。その紛争は、日本では地名から“ノモンハン事件”と呼ばれている。
線引きが不明瞭だった国境をめぐるこの戦いが、ユーラシア大陸の東西両端を図らずも連動させ、1939年9月1日の第2次世界大戦の勃発へとつながった――。欧米の歴史家が近年こう評する事件を、いま一度ひもとく。
幾重にも連なるくぼみが、草原一面に広がる。モンゴルの首都ウランバートルから東へ約1200キロ。悪路の中、車で3日間かけてたどり着いた。「鳥の視点」で見て初めて、くぼみだらけのこの場所が持つ意味が理解できる。
ここで1939年に起きた国境侵犯をめぐる紛争は、日本ではその地名からノモンハン事件と呼ばれる。眼前に広がるのは、その跡だ。日本・旧満州国の連合軍が旧ソ連・モンゴル連合軍と衝突し、日本側が大打撃を受けた。くぼみと思っていたのは、ソ連側が物資の貯蔵に使ったとみられる径約10メートルの円形壕(ごう)だった。碁盤の目状に200基近くが並ぶ。中国との国境に接した一帯は、航空機の接近は今も禁じられている。昨年5月、朝日新聞が同行取材した現地調査団によるドローン撮影で、その異容が明らかになった。
すぐ西を流れるハルハ河沿岸の南北約7キロの区間に、測地衛星の画像では先ほどの200基を含めた約1430基の円形壕が確認できた。多くは段丘の斜面に、日本軍が布陣する東方から見えないように掘られていた。壕の列の南側には、オオカミの足跡のように、一回り大きな4~5基一組の壕が並んでいた。
「ソ連軍が重砲を据えた跡ではないか」
モンゴル側の関係部局と協力し、2009年から一帯の戦争遺構を調べている現地調査団長の岡崎久弥氏(57)は、こう推測する。岡崎氏らの継続的な調査により、通常は規制される国境付近も、今回は大幅に自由な調査・撮影が認められた。
そこから数十メートル離れた場所に、ソ連軍のM36と呼ばれる鉄かぶとが転がっていた。側面には銃弾によるものか、穴が開いている。80年余りの歳月を物語るかのように、さびて朽ち果てていた。
39年8月、圧倒的な物量を誇るソ連軍の前に、日本軍は壊滅。両軍合わせた戦死者は1万6千人を超えた。この戦いを近年歴史家の一部はこう捉えている。ノモンハン事件こそが、第2次世界大戦の“起点”だったのだと。
いま解き明かす「ノモンハン事件」
ノモンハン事件とソ連の対日侵攻。このシリーズは、くしくも双方の舞台となったモンゴル東部を出発点に、現地調査や最新の知見も交え、当時の日本が直面した戦争の諸相を浮き彫りにします。
圧倒的な物量差
日露戦争を機に日本は権益を…
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